恵比寿日和
2010年
今日で十一月も終わり。
年をとるにつれ、一か月という時間はいよいよ速度を速め、一万円札を両替した途端の千円札みたいにあっという間に吹っ飛んでいく。
それにしても・・・・。
十一月という月は、本当に印象の薄い月である。
ニシムクサムライのサムライが"11月"だったっけ・・・・くらいの印象。
あとは文化の日と勤労感謝の日がある月、くらいなもんである。
でもって、今月の句会のお題のひとつが十一月。
困った、困った。
人生でこれほどまでに十一月について考えたことはこれまでになかったというくらい、頭を抱えることになった。
改めて十一月を感じてみると、紅葉の美しさも落ち葉の音も、小春日和の日々もみんな十一月。
立冬を迎え、寒くはなってくるけど、まだまだ温かさもある。
気ぜわしくなっているけど、まだ少し気持ちに余裕はある。
落ち葉もあるけど、梢の葉っぱも美しい。
などなど考えていると、どちらつかずの微妙なあわいの、うつろいの中にこそ十一月はあることに気がついてきた。
あしたから十二月。この月は印象も明快に一気にラストスパートになだれ込んでいく。
そこに立ち止まって、時の流れを楽しむ余裕はない。
十一月 素描画だけの美術館 結女
句会(KIMA句会)の詳細は以下でご覧になれます
http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/
もう11月。これから一気に冬めいてくる。
早いなあ~ことしも。なんだか年々吹っ飛ぶように年が過ぎていく。ガーデンプレイスのバカラのクリスマスツリーがきらめき始めた。
こうやって齢をとって行くんだな~と妙に感傷的になるのも、決まってこの時期。
先週末の土曜日は10月句会があった。
兼題のひとつが「秋の山」。
秋の山と聞いて真っ先に浮かんでくるのは、小学校の頃、教室から運動場越しに見えていた近くの山。学校自体が山のふもとにあったから、実際は身ぐるみ山の中。
秋の夕日を浴びた山の木々はそれぞれ特有の光を放ちながらも、少し遠目で見ると、いろんな色がまじりあった深い色調になっていた。
これから本格的な紅葉の季節。
馬頭でのどんぐりイベントも、もう明日に迫ってきた。
拾ったどんぐりをちゃんと翌春に発芽させるには、数日間のタイミングが勝負で、その日を失うと、なかなか難しいという。そんなどんぐりを馬頭の子どもたちが大切に育ててくれた。
自然の移ろいは、人間に合わせて、待ってくれない。
感傷に浸れるはずの11月は、いつもあわただしく過ぎていく。
量子論一冊 秋の山に入る 結女
馬頭のどんぐりイベント詳細はこちら
秋ひとつ 正岡子規の石あたま 結女
やっと秋になった。突然の秋、である。
かと思うと、もう季節は初秋を通り越して、仲秋へ。
この秋雨が終わるころには、山野は一気に色ずき始めてくる。
あ~、待ちに待った秋。
先日9月の句会があった。
一か月お休みをしての出席だったので、句作の時間もたっぷりあったはずが、またしても時間切れ。
句会間際になって、どうしても2句ができず、行きの電車の中で、歳時記とにらめっこ。
かくして、今回も遅刻ギリギリで駆け込んでいくことに。
先人を歳時記的に分類すると、秋を代表する人は、私的には正岡子規。
なので、今回の自由詠2詠は、子規、それと子供の頃から「いけない...」と思いつつ魅かれていた「彼岸花」を詠もうと決めた。
子規の命日は9月19日で、その期日は獺祭忌、糸瓜忌ともいわれる。
う~ん、忌日はなかなか読みにくい。
そうそう、子規の好きな柿で読むのもいいかな~。
でも、今年はまだ柿は食べてないぞ~なんて考えているうちに、浮かんできたのが子規の横向きの写真。
子規の写真はほかにも野球着姿や、病床でひじをついた写真が有名だが、何といっても強烈なのは、横向き写真のあの頭。
この中に膨大な知識や洞察力が詰まっていたのだろうな~と、ほれぼれするような、出っ張り具合である。
そういえば昔、誰かから聞いたことがあることを思い出した。
後頭部が出っ張っている人は、先天的に頭がいい。平面的な人はさにあらず~と。
私の後頭部、生まれつき平面。というより、垂直、絶壁である。
彼岸花 まだ深入りはしてをらぬ 結女
先月矢澤ナーセリーより菜園ユニットセットを送っていただいたので、娘と一緒に菜園ユニットづくりに挑戦しました。
セットの内容は、側面にテイカカズラが植栽された金網カゴ、培養土に
"矢澤レディース"セレクトの野菜苗7種。
トマト・レタス・モロヘイヤ・オクラ・ツルナシインゲン・アキナス・ラッカセイ
金網カゴには、テイカカズラが植栽された部分に半分ほどアクアソイルが入っています。
カゴのバランスをとるため、レンガで重石をして作業スタート。
矢澤さんのアドバイス通り、まず、アクアソイルと同じ高さまで土を入れます。
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アクアソイルと同じ高さまで入ったら仕切りを引き抜き、さらに土を入れていきます。
カゴの上端まで入れて、表面を軽く均します。
次は植える苗の配置。背が高くなるもの、横に広がるものなど、あれこれ考えながら置いていきます。
ちょっと欲張り気味かな?
ポットから苗を出して傷めないように気をつけながら植えていきます。
暑さでレタスがしなってきました。急がないと!
苗の名前を書いた札を付けます。
仕上げにたっぷりお水をあげて完成!
数日後の様子。レタスも元気になりました。これからが楽しみです。
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その名もふくちゃんこと、福田安武くん、愛知県生まれの23歳。
高知大学の大学院、1年生。
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ふくちゃんに出会ってからというもの、生まれ故郷の高知の自然が
どんなに美しいものであったのかを知り、季節ごとの自然の恵みを知り
それをみんなで分かち合う喜びを知った私。県外生まれ、若干23歳の
ふくちゃんのおかげで、今更ながら故郷への愛が深くなってしまった。
あるときは夜もふけた海辺の河口で待ち合わせ、おにぎりと釣具を持ってうなぎ釣り。
釣ったうなぎはその場でさばき、拾ってきた薪で火をおこして蒲焼に。
釣りのための餌も買わない。大学の敷地内のどこの枯葉をひっくり返せば、
たくさんのミミズが隠れているかをふくちゃんは知っているから。
ふくちゃんと遊んでいると、いろんなことの本質に気づかされる。
心豊かに暮らすために、必要なことって実はそんなにたくさんじゃない。
誰かの生活のために役立つ、磨き上げた技がひとつあり、
自然から少しずつ恵みを分けていただくための知恵と、
感謝の気持ちがあれば、他の誰かを貶める悪知恵もいらないし
浅はかな計略も必要ない。
お金がなくても、死ぬほど楽しい遊びがたくさんある。
生きることってこんなにシンプルなんだ、と思い知る。
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そんな自然児ふくちゃんが、本を出版した。
そしてその出来たての本を持って、5×緑のオフィスまでやってきた。
いつも山や海で会うふくちゃんが、恵比寿にいるのはちょっとふしぎな
感じだったけれど、都会で窮屈な暮らしをしているひとたちにこそ
読んでもらいたい、というふくちゃんの想いがうれしい。
「これ、いなかからのお裾分けです。」
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これ、いなかからのお裾分けです。
著者:福田安武
発行日:2010年7月7日
出版社:(株)南の風社
ISBN978-4-86202-037-6
ふくちゃんが大学で、とある先生に提出したレポートが、先生の熱意により
高知の出版社「南の風社」の編集長に届けられ、この本の出版につながった。
ふくちゃんみたいな23歳は、そうそう周りにいないと思う。
里山の暮らしの知恵、みたいな本はあるかも知れないけれど
執筆者が23歳の男の子である確率はほとんどゼロに近い。
でも、ほんとうは、私たちみんなが受け継いでいかないといけないこと。
自然の勘を取り戻し、暮らしに季節を取り戻し、心豊かな日々を取り戻すために。
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ご興味のあるかたは、ぜひこの本を読んでみてください。
現時点では、高知県外の書店では在庫を置いていないので
お近くの書店にお取り寄せいただくか、南の風社さんに直接ご注文してみてください。
http://www.minaminokaze.co.jp/159.html
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今月の句会のお題は、梅雨......
こんなにもリアリティーのある季語ならいくつでもできるはずなのに、これまた難しい。
この時期は、どうしても体に刺激がほしい。
このけだるい日々に刺激を与えてほしい。
ということで、まずは、味覚をフォーカスすることに。
カレー味、塩味、酸味、辛味。
そういえば、この間、大阪の飲み屋で世界の塩の味比べをさせてもらった。
これは素材になるではないか。
ところが、幾種類もの塩があったのに、どこの塩だったのかが全く以て思い出せない。
(結構酔っぱらっていたワタシ)
確かに覚えているのが「イスラエルの塩」
そばに居合わせていたM田さんが、「イスラエルには梅雨に合う!」と、呟いていたからだ。
う~~ん、あれこれやってみるが、「イスラエル」の5文字はなかなかうまくおさまらない。
まてよ。イスラエル産の塩って、もしかしたら死海の塩のこと?!
ということでできたのが、以下の句。
舌先に死海の塩や梅雨長き 結女
およそシュールとは程遠い、写生句(?)でした。
ちなみに、イスラエルの俳句はないかと探してみたら、尊敬する俳人・赤黄男にこんな句があった。
黴の花イスラエルからひとがくる 富沢赤黄男
黴(カビ)の花?......
そうか。やっぱりイスラエルには梅雨が似合うんだわ。
やるね、M田さん!
娘と二人、庭の片隅に植えた梅桃(ユスラウメ)の木に近づいてみると、あるある赤く色づいた小さな実が―。
ユスラウメの実は、小粒のさくらんぼのよう。でも柄の部分がほとんどないので、枝に直接くっついたようになっています。しかも葉の下側につくため、収穫するときは枝下から見上げるようにして、葉が生い茂る中に手をのばさなくてはなりません。
一瞬手を入れるのを躊躇しますが、赤い実が目に入ったらそんなことは気にしていられません。ちょうど頃合いの熟した実は、指で触れるとほろっと落ちます。
つぶさないように大事に集めた実は、それはつやつやと美しく、一粒口に入れると優しい甘酸っぱさが広がります。最近の果物は甘みの強いものが多いけれど、このさわやかな酸っぱさがたまりません。
ユスラウメに続くようにジューンベリーの実も色づきます。ブルーべりーを思わせる実は、さわやかな甘みとりんごのような香りがします。どちらも小指の先ほどの小さな実ですが、その味わいは個性があっておもしろい。娘はジューンベリー、私はユスラウメが好み。
ユスラウメと異なり、ジューンベリーは実が付いているのが一目瞭然なので、ヒヨドリなどの鳥たちが啄ばみにやってきます。実の付き方、"ユスラウメ"は鳥に見つからないように実をつけ親木近くで種を増やし、"ジューンベリー"は実を鳥に運んでもらい広域的に種を増やす?などと思っていると、
「とりさーん、あかくなってるよー!」
喜びを分かち合いたいのでしょうか?空に向かって叫ぶ娘・・・。
採れたてを食べる喜びと、探しながら採る楽しさとで夢中になるあまり気がつくと、顔やら手やら蚊にさされていました。
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ユスラウメ(上段)とジューンベリー(下段)
ユスラウメは葉がふさふさで実が見えない
みずみずしい実たち
つやつやとしているのがユスラウメ、ブルーべりーのような実がジューンベリー
娘は食べ頃のジューンベリー(黒っぽい赤)ばかりを食べる。たくさん食べているうちに自然に分かったらしい。さすが食いしん坊
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君を待たせたよ 桜散る中を歩く 碧梧桐
桜はあっという間に散るというが、意外にしぶとい花だと思う。
ちらちら咲き始めて散りおわるまでに、雨に打たれても風に吹かれても、意外や意外にびくともせず自分の花期というものをしっかり全うする感じがする。
今年も桜の時期。
先週末の雨にも負けず、まだしっかり満開の風情をみせてくれている。
でも、本当はこれから散っていくときの桜のほうが好き。
勝負のついた試合を巻き戻しのビデオでゆっくり見るように、安心して見られる。
一番好きなのは、3部散り?くらいの時期。
花びらが舞い散る中をふらふら歩いていると、本当にこれがこの世なのかと、うっとりしてしまう。
冒頭の句は、桜の時期が来るたびに思い出す俳句。
子供のころ通っていた小学校の裏山のふもとに、この句碑が立っていた。
「なんて素敵なんだろう」と思ってから、もう半世紀近く。今もこの光景を思い浮かべるだけであの頃、胸いっぱいに感じた幸せな気持ちがよみがえってくる。
桜の名句は数多いが、自分にとってこの句ほど好きな桜の句には未だ出会ったことはない。それでも桜に時期が来ると、下手を承知で、桜の句を詠みたくなってくる。
耳底の 桜の揺れが とどまらず 結女
ホーホケキョ ケキョケキョケキョ tutututu~
鶯、別名「春告鳥(ハルツゲドリ)」のさえずりが始まった。
慌ただしい朝の時間、ふと手を止めて耳を澄ます。
まだ幼いのか、たどたどしいさえずりが微笑ましい。
鶯は藪を好むので、なかなかお目にかかることができないが、幼鳥が一生懸命にさえずりの練習をしている姿を想像すると心がほわっと和む。
こんな朝のささやかな出来事が、一日のスタートを心地良いものにしてくれる。
いつもさえずりが聞こえるミカンの木
鶯のほかにも鳥たちのさえずりが・・。
そういえばヒヨドリがユスラウメの花を啄みに来ていたっけ。
先週末カンヒザクラ(寒緋桜)の花を見に行ってきました。
実はこの日を心待ちにしていたのです。
9年ほど前、伐採予定のカンヒザクラの老樹がありました。
樹の半分ほどが枯れていたのですが、花をたくさんつけ地域の人に親しまれていたので、
何とか子孫を残せないものかと5月のある雨の日、実を探し求め、小ぶりのさくらんぼサイズの実を7粒見つけて持ち帰りました。
拾った実は果肉をよく洗い落とし、7~8mm程の種子を乾燥しないように湿らせたティッシュに包み冷蔵庫で保管。本来は土に埋めるのでしょうが、それでは様子がよく分からない、室内での管理で暖かくなり腐っては困るとの思いから冷蔵庫を思いついたように記憶しています。
冷蔵庫を開けては、乾燥していないだろうか?カビてはいないだろうか?と様子を見続ける日々。
そんなある日、種子がわずかに割れ、その隙間から何やら白いものが出ているのを発見!
なんと発芽しているではありませんか!7粒のうち2粒も!!
サクラの発芽率は低いといわれ、中には数%という文献もあったのでこれには感激。
ダメにしては大変!とその道のプロ(山本さんと矢澤さん)にこの子たちを託したのでした。
約1年後、50cmほどに育ててもらった実生苗を元の地に植栽しました。
実生苗が花を咲かせるまでには5年~10年ほどかかるとのこと。本当に咲くのでしょうか!?
一昨年・・・植栽して以来のご対面。
高さ2mほどになった姿に「大きくなったね~」とわが子のことのように感激。
そろそろ花がつく頃かと思うも花を見ることはできず。
昨年 ・・・時季が遅く葉桜で花を見ることはできず。が、足元を良く見ると花柄を2つ発見!もしや!?
今年 ・・・なんと花をつけていましたー!
あの小さな一粒が年月を経て大きな木に成長し花をつけている・・・。
当たり前といえば当たり前のことかもしれないけれど、一粒の種に秘められた植物の持つ生命力を改めて感じたのでした。
あのときの一粒が・・・と思うとうれしさもひとしおでした
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余談ですが、サクラといえば桜餅。
ちなみに桜餅の葉は、オオシマザクラの葉を塩漬けにしたもので、葉の鋸歯(縁のギザギザ)が重鋸歯で先端がすうーっと長く糸状にのびているのが特徴。
花には芳香があるのですが、この香りがまた優しい気持ちにしてくれます。
花期はこれから。楽しみです。
毎年恒例となった桜餅づくり
たくさん作っても"花より団子"の我が家では、あっという間になくなります。
3月6日は啓蟄。
大地があたたまって、土の中から虫たちが地上に出てくる季節とされています。
ちょうどチーム5×緑の矢澤さんのナーセリー便りで「カエルが土から出てきました」
というお知らせをいただいたばかり。。。ものみな目覚める春の季節です。
顔に土がついてますよー。まだ寝ぼけた感じの雨蛙さん
1月末に、土の中から顔を出した福寿草の写真が馬頭の森の佐藤さんから送られてきました。
自然と思いだされたのが、藤原家隆のこの句
花をのみまつらん人に 山里の 雪間の草の春を見せばや
冬から春へかけて少しずつ動く、ささやかな季節の変化を昔の人は本当によく観ていたのだと思います。
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雪間の草の春を見せばや
もう春。というころになって、決まって雪が降る。
淡い春の雪は、ふわりと落ちて、すぅ~っと消えていく。
空から落ちてくる雪はもっといっぱいあって、もしかしたらこうして地面にたどりつく雪は、かなり幸運なのかしらん、なんてふと考えている。
雪の句といえばいつも口ずさんでしまうのが、
いくたびも雪の深さを尋ねけり 子規
病床の子規が、庭にどれくらい雪が積もってきたのか、たびたび家人に見てきてもらっているという光景だ。
寝たきりで身動きの取れない子規にとって、静かに降り始めた雪がどうなっているのか、気になって仕方なかったのだろう。この句を思い浮かべるたびに、自分が家人になって、雪の様子を子規に伝えているような錯覚を覚えてしまう。
でもって、先月の句会のお題の一つが「雪」
こんなにも雪に思い入れることのできるワタシなのだから、いい句がいっぱいできておかしくないはずなのに、これまたイメージが広がりすぎて難しい。
でも、今回、先生の素晴らしい俳句に出会った。
日が差せば雪は楽しみながら舞う 静魚
こういう俳句に出会うと、「参りました!」という感じになり、こういう句に出会える句会に出ていてよかったと思える。いかに自分が広がりすぎるといいながらも一面的なとらえ方しかしていなかったかと思い知らされる。さすがに!いつも厳しいだけのことはある先生である。
雪の句でいえば、今回はこんな句も素敵だと思った。
鼓膜にてふんわりとまる雪の音 太平洋
ちなみに太平洋さんは、私より○○歳ほど年上の男性。こんな繊細な素敵な句を作られるので、びっくり。
でもって、蛇足の俳句。
初雪を20セントといふBARで 結女
そう、あの20セントです
句友「人魚さん」のおススメで、青山のワタリウムに「バラカン」展を見に行った。
昨年の9月から5カ月以上もの長期間、ここで開かれていたということ。
その間、何度となくこのあたりをうろうろしていたにもかかわらず、
その展覧会の存在を知ったのが、展覧会最終日の一日前。
ということで、何はさておき、最終日の日曜日に、会場に向かった。
何か、スイーツのショップでもできたのかな~と思っていると、
この展覧会を一目見ようという人々の列だった。
20分ほど待って、会場に入ると、これまた、大勢でごった返していた。
この展覧会は、ワタリウムの方が遺族の方への情熱的な働きかけで実現した
貴重な展覧会だったという。
妹島和世、西沢立衛両氏によって、美術館内部に再構成された「バラカン邸」は、
中庭とリビング(リビング続きの庭というべきか)、フロアはまたがっても、
書斎もベットルームも食卓も、一連の空気感の中で途切れることなくつながっている。
白い開き窓から漏れる十字の光は、くらがりの深いやすらぎを与えてくれる。
中庭の植物もダークなグリーンの色合いが神秘的で落ち着く。
壁の色彩のピンクも明るいのに、不思議にシックな印象だった。
シンプルでありながら簡素でなく、控え目だけど饒舌というのだろうか。
意志のある小さな住宅とは、なんて豊かなのだろうと思い知らされた。
大きなフラットな会場でなく、小さなニュアンスのあるギャラリーだからこそ味わえるしあわせ。
この企画を実現させた、ワタリウムの方の思いに触れたような気持がして、気分よく会場を後にした。
最終日の行列にびっくり!
一年で一番寒いといわれる大寒の日。
今年は、一月の二十日でしたが、思わぬ暖かさで水ぬるむ大寒となりました。
この頃になると庭の木の冬芽が気になります。
厳しい寒さの中、シンと静まりかえったようにみえていた樹々の枝先にふくらむ冬芽をみつけて嬉しかったのを覚えています。
こんなことも小さな庭を持つようになってからのささやかな喜びのひとつです。
どんなに寒い冬でも、植物たちの中では春の準備が進んでいます。
その着実で確かな営みに心を動かされるのです。
新しい年が明け、季節はやがて立春へ ― 。
三寒四温。春はもうそこまできています。
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