恵比寿日和

市井の風景

家から株を掘り取って庭に植えた秋明菊が若葉を出していた。

根付いてくれるかどうか心配していたので安堵した。

 

秋明菊は母の一番好きな花で、病床にはずっと実家の庭の秋明菊が飾られていた。

母が亡くなり、草木の世話をする人もいなくなってしまった。荒れるに任せるのならと、せめて秋明菊を東京の自宅に移植したのである。

 

母は花の好きな人であった。

 

猫の額のような庭に溢れるほど花を植えて、毎朝欠かさずせっせっと世話をしていた。

時に朝食の支度を忘れるほど熱中するので「困る」と、父がよくこぼしていた。

 

花の世話をする母の横を毎日近所の子供たちが挨拶をして通り過ぎて行く。

お母さんに叱られた朝はふくれっ面の時もある。

そういう時は、余計大きな声で「おはよう」と声をかけるのだと母は言っていた。

その子にしてみれば、さぞバツの悪いことであったろうと思う。

そんなことからか、いつしかご近所の子供たちから「花のおばちゃん」と呼ばれるようになったようだ。

 

幼稚園だった子はやがて社会人になった。会社に行くようになっても「おばちゃんおはよう」と声をかけてくれるのは、もう約束ごとのようになっていた。

繰り返される日常の風景。その側にはいつも母が丹精した草花があった。

 

ご近所の人たちは、ある日気がつくだろうか。毎日見慣れた風景がいつしか変わってしまったことに。そして知らぬ間に「花のおばちゃん」がいなくなってしまったことに。

 

ささやかな庭ではあったが、前を通って通学や通勤をする人にとっては、紛れもなく町の風景の一つであったと思う。

考えて見れば、公園だ、ランドマークだと大袈裟なことをいわなくとも、市井の人が支える町の風景はたくさんある。

そしてそれはことさらに幸福な風景であると思う。

 

秋、母の一周忌の候、庭の秋明菊は花を咲かせてくれるだろうか。

 

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