恵比寿日和
2013年
イベントの醍醐味は色々ありますが、お母さんたちがマキで炊いてくれるお昼はいつも話題になります。
おかずの一つにあった柚味噌大根がとても美味しくて、T本さんが作り方を教わりましたが、「まさにミソは手づくりの味噌にあり!」ということになり、譲っていただけることになりました。
手づくりの味噌は加熱処理されておらず、麹菌が生きていて身体にもいいのだそうです。
そうしてT本さん宅に届いたお味噌!・・・にしてはやけに大きな荷物をほどいてみると、中から特大の梨に、柿に、柚子に、里芋などがゴロゴロ。
味噌を頼んだだけなのに、こうして心づくしをしていただけるありがたさが身に沁みます。
秋の恵みはみんなで分けていただきました。
「ほら、あれ」と田瀬さんが指差す先には、30代くらいのネクタイを締めたサラリーマンと思しき男性が2、3人、窓の外へ向けて一生懸命携帯カメラを向けている姿がありました。
カメラの先には虹が。
「あ、虹ですね」と返すと、「虹を見るとうれしいんだねぇ」と田瀬さん。
田瀬さんは虹ではなく、虹をみつけて顔を輝かしている「ひと」を見ていた、のです。
ランドスケープ・デザイナーとしての田瀬さんの仕事を、植物を増やすことでも緑をきれいに配置することでもなく、「ひとの居場所をつくる」ことだと看破した、西村さんの本のことを思い出して、ひとりでに顔がほころんでいました。
佐川さんの田んぼには、山の湧き水から水が引かれています。
水路から一枚一枚の田に水が引かれているわけですが、稲刈りを控えた田の水は抜かれ、
水は止められていました。
水の流入口を見せていただきました。
驚いたことに、水の進入路は土で簡単に止められているだけ。
佐川さんが土を少し掻き出せば、水は再び田に流れて行きます。
聞けば、昔はどこも水路の堰は土や石でつくった簡単なものであったといいます。
大雨で水嵩が増した時、水が堰を壊して流れて行くように「良い加減」につくっていたのだとか。
自然をコントロールするのではなく、自然に寄り添い、無理をせず、昔の人の大切な知恵がここにも。そんな思いがするお話でした。
地元の方々は口をそろえて「佐川さんの田んぼの水は沢水だから最高だよ。水がいいから米の味が全然違うんだ!」と太鼓判を押します。そこまで言われると食べてみたい。。。
ここが田圃に水を引いている取水口。泥をかぶせただけのシンプルにして完璧なつくり。
知らないと見過ごしてしまいいます。。。
田んぼに水を貯めるために重要なのが「くろ」塗りの作業だそうです。
畦の下の水が溜まっている部分、これを「くろ」というそうで、毎年田植え前に、前の年の「くろ」を切って(くろば切り)土を塗り直し、「くろ」をつくるのだそうだ。
普通は機械で行う作業ですが、機械の入らない佐川さんの田んぼでは、今も鍬で「くろ」づくりをしています。
今回、佐川さんとの橋渡しをしてくださったのは、5×緑里山ネットワーク「馬頭の森」の佐藤さん。その佐藤さんのお父さんが、長年使い慣れた鍬を見せてくださいました。
木の柄に鉄の刃。
風呂に刃がしっかりと食い込んでいて、留め具一つありません。
傷んだ刃は、鍛冶屋が鍛え直したそうです。
佐川さんも「これはいい鍬だ」と目を細めます。
今ではもう、こんな道具は手に入らないのだとか。
刃はボルトで固定されるようになり、傷んだ刃の手入れをしてくれる鍛冶屋もいなくなりました。
ボルトで固定された鍬は「くろ」に土を塗りつけると、2本の筋のボルトの跡が残るのだとか。
その鍬の作業も、「くろ」づくり用のアタッチメントを装着した機械が主流の今は珍しくなっています。
佐川さんの田んぼでは、「くろば切り」も、田植えも、稲刈りも、夫婦ふたりで作業します。
ご先祖の開いた小さな棚田で、人の手だけで行われる米づくり。それがとても尊いものに思えました。
「あ、ギンヤンマ。。。!」
鮮やかな水色の腹部を陽にきらめかせてギンヤンマが池の水面を滑空していた。
栃木県那珂川町、林業振興会の「どんぐり交流会」でお邪魔した小砂の森。
山の人たちが5年計画で森の手入れをしている。
ギンヤンマをみつけた池も、寒い中地元の木こりの方々が水に入って、はびこったヨシやガマを刈ってきれいにしたのだという。
その池に、今は珍しくなったタヌキモという食虫植物が生息していた。
ちょうど「植物のこころ」という本の中で、この変わった植物のことを読んだばかりだったので荒井さん(植生調査の専門家)にタヌキモを見せられた時は、心の中で!!!とウェーブが起きた。
タヌキモは、水の中に捕虫嚢という小袋を形成している。
「この小袋は常に陰圧になるように調整されていて、いわばバキュームカーのような状態にある。そこへプランクトンなどが近寄り、小袋の扉に連動した所に触れてしまうと、一瞬小袋の口が開き、プランクトンは袋の中に吸い込まれてしまう」のだという。
それがあまりに早いので、先の書籍の著者の塚谷祐一氏は「何度顕微鏡で見ていても、その吸い込まれる瞬間を見ることはできない」と書いている。
実に面白い。
しかしこんなに器用でユニークなタヌキモも水質が悪くなると、途端にいなくなってしまうようだ。
塚谷氏は「都内の石神井に生えていたシャクジイタヌキモはとうの昔に絶滅してしまった」と嘆き「なんとか人間との共存を図り、保護を進めたいものである」と書き記している。
タヌキモを水から上げて紙の上においてみた
冬の間、姿を消していたギボウシが元気よく葉を出してきました。
「元気だったんだね」とうれしくて、葉脈の美しいラインにほれぼれしていると、
左の方の葉に何やら赤いものが・・・
葉をめくってみると、テントウムシが脱皮の真っ最中!
初めて目にするうれしい瞬間でした。
根付いてくれるかどうか心配していたので安堵した。
秋明菊は母の一番好きな花で、病床にはずっと実家の庭の秋明菊が飾られていた。
母が亡くなり、草木の世話をする人もいなくなってしまった。荒れるに任せるのならと、せめて秋明菊を東京の自宅に移植したのである。
母は花の好きな人であった。
猫の額のような庭に溢れるほど花を植えて、毎朝欠かさずせっせっと世話をしていた。
時に朝食の支度を忘れるほど熱中するので「困る」と、父がよくこぼしていた。
花の世話をする母の横を毎日近所の子供たちが挨拶をして通り過ぎて行く。
お母さんに叱られた朝はふくれっ面の時もある。
そういう時は、余計大きな声で「おはよう」と声をかけるのだと母は言っていた。
その子にしてみれば、さぞバツの悪いことであったろうと思う。
そんなことからか、いつしかご近所の子供たちから「花のおばちゃん」と呼ばれるようになったようだ。
幼稚園だった子はやがて社会人になった。会社に行くようになっても「おばちゃんおはよう」と声をかけてくれるのは、もう約束ごとのようになっていた。
繰り返される日常の風景。その側にはいつも母が丹精した草花があった。
ご近所の人たちは、ある日気がつくだろうか。毎日見慣れた風景がいつしか変わってしまったことに。そして知らぬ間に「花のおばちゃん」がいなくなってしまったことに。
ささやかな庭ではあったが、前を通って通学や通勤をする人にとっては、紛れもなく町の風景の一つであったと思う。
考えて見れば、公園だ、ランドマークだと大袈裟なことをいわなくとも、市井の人が支える町の風景はたくさんある。
そしてそれはことさらに幸福な風景であると思う。
秋、母の一周忌の候、庭の秋明菊は花を咲かせてくれるだろうか。
春一番が襲来し、東京も一足跳びに春めいてきました。
庭の山茱萸の花もほんの10日ほど前までは固い蕾のままでしたのに、知らぬ間に梢に黄色の花が付き、この週末の暖かさで一気に満開になりました。
楚々とした目立たない花ですが、小さな花が早春の光を浴びて木全体にキラキラと輝く姿から、「春小黄金花」という美しい異名を持っています。
山茱萸の足元にはいつものようにクリスマスローズ。
花のように見える部分は実は萼(がく)なんですね。
日本には明治のはじめに渡来したそうですが、渋味のある独特の色合いが染付けや焼き締めの日本の花器によく合うような気がします。
3月11日。
あの日も、山茱萸が、クリスマスローズが、こうして密やかに春を告げていました。
2年が過ぎ、気がつけばあの時と同じように、揺るぎなく確かに春が鼓動しはじめています。
岩手県・遠野プロジェクトの拠点施設QMCH(クイーンズメドウカントリーハウス)は、
クマやカモシカの棲む遠野の山あいで、馬を飼い、米や野菜を作り、小さなゲストハウスを営んでいる。
2月初め、厳寒のQMCHを訪れた。
馬は、ハフリンガー種という黄金の毛を持つ山岳馬で、敷地内の林で自然放牧されている。
白銀の雑木林を、亜麻色のたてがみをなびかせて躍動する彼らの姿は、古いヨーロッパの
童話の世界を見るように美しい。
到着したその日は、日が落ちてから外に粉雪が舞い始めた。
視界に人工物の入らないQMCHは、一歩外に出ると真の闇である。
それでも近くに馬たちがいると思うと、心が躍って、会いに行かずにはいられない。
そこにいた7人で氷点下の雪の中を懐中電灯を持って出かけた。
「いた!」
闇の中に馬たちのシルエットが浮かび上がっていた。
近づいて触れると馬の体温は高く、温かくて、そして優しい。
目が慣れてくると遠い山の稜線や樹々の形が見えてくる。
誰が言うともなく懐中電灯を消して、待った。
これまでの馬との出逢いの中で、彼らがヒトを「検分」することがあるのを知っていた。
だから、一頭が静かに近づいてきたとき、身動きしないでジッとなすにまかせた。
時間を馬たちに委ねるように。
馬の"検分"は足元から始まった。
爪先に鼻ヅラをつけて、フンフンと匂いをかいでいる。
くるぶしから足へ、腰から腹へ、そして肩へ、ゆっくりと「馬の検分」は続く。
顔からほんの数センチ、雪除けにかぶったフードをハミハミと甘噛みしている馬の歯が
見えた。
熱い息が顔にかかる。
暗い空から舞い落ちる雪片のひとつひとつも鮮やかに、
闇に浮かぶ樹々の梢の一本一本もありありと、
あの時のことを思い出す。
雪闇の中で、魂の在り処を探るように、私の身体を通り抜けて行った、
自分よりずっと大きな生き物のことを。
彼らに身をまかせることで感じた不思議な安らぎのことを。
翌日は、晴れて風の強い日だった。吹雪くように風花が舞う。
翌朝の雪原でみつけたたくさんの足跡。夜の間にいかに多くの生き物たちが傍らで跋扈していたことか。
遠野で過ごす一番好きな季節 -冬-
ぴりっと緊張感のある澄んだ空気、一面の銀世界、きれいな夜空・・・
都会の暮らしでは普段使っていない感覚が呼び起こされ、本能的な部分が刺激されるという感じ。
自然と向き合う真剣度が高いというのでしょうか。
寒く長い冬に備え、<その1>編のように身体を使って薪割りをし、米・豆・根菜類を備蓄したり、味噌を仕込んだりと日々の営みが生きるということにつながっている―。
都会ではその営みを他人に委ねていることがほとんどで、それが当たり前になっていて、
便利で助かる一方で生きることを他人まかせにしてしまっているような気がして
ふと怖いなと思うことがあります。
だから冬の遠野にくると、背筋がピーンとするのです。
雪の中を一回りしたあとのランチでのこと。フレッシュな野菜たちの色が目に飛び込んできました。
遠野に来るたびに感じていたことですが、今回はことさらです。
白銀の世界から色の世界へ。
はじけ出るようなエネルギーを感じ、食べたら元気が出る!と思いました。
ありがとう野菜たちと心の中で感謝。
お次はこちら。何でしょう?
ゆでた人参を数日間寒風にさらした干し人参です。
フレッシュな野菜とはまた違った鮮やかさがあります。
噛めば噛むほどに滋味深い甘みがあり、お気に入りに。
自然をうまく活用した人の知恵に感心しかり。
みんなとはぐれ1人雪の中を歩いていると、知っている場所なのになぜか心細くなってきて・・・。
陽を浴びて光るような栗色をした馬たちを見つけ、ほっと一安心。
彼らが温かいことを知っているからでしょうか。
スノーシュー(現代版カンジキ)で散策する仲間たち
昔は藁で編んでいたカンジキも現代版は赤、青、シルバーと様々。
みなさんもカラフルです。雪の中では何かあった時のために目立つことも大切です。
他の季節では自然の創りだす様々な色の方に目を奪われていましたが、
白銀の世界で色の持つメッセージだったり、記憶だったり、色々なことを改めて感じました。
雪深いクイーンズメドウカントリーハウスへ行ってまいりました。
今回は5×緑へのお客様をご案内するための訪問でしたが、
スタッフも存分に冬の遠野を満喫させていただきました。
いや~しかし、とにかく寒い!!
私たちがお伺いした日にばっちり雪が降って、
春の雪解けの気配も消え、すっかり真っ白な銀世界。
現地の大事なライフラインである暖炉。
東京の生活ではめったに燃え盛る炎を見ることはありませんが、
ここでは、ゆったりとした時の流れの中で暖炉のそばに寄り添って、
時には誰かと一緒に深く濃い話を、
時にはひとりで炉に向き合って
ぱちぱちと燃え続ける薪を見つめながら、少し日常を遠ざけて考え事を楽しんだりなんかして。
その薪は、現地スタッフが毎日のように割っているのですが、
今回はその薪割を体験させてもらいました。
斧で薪を割るなんて!初めての体験です。
割られた薪と割られる前の薪
割りやすそうな薪を選びます。
節が少ないものの方がきれいに割れやすいとのことです。
これを4分割します。
コツは
・中心に向かって振り下ろす。
・薪より向こう側まで割り切るイメージで振り下ろす。
・重力を使って、斧が落ちる力で割る。
とのこと。
都会でデスクワークの軟弱な女の子をである私は斧を持ち上げるのだけでもよろよろです。笑
集中して~、ど真ん中をねらって~、
どきどきしながら~、斧を~~~~~~、
振りおろーーーーーす!!!!!
しかしうまく当たらない....
邪念をふりほどいて、集中するのがこんなに大変だとは。
すっかり汗だくです。
二の腕の力、腰の位置、斧の重さの移動、目標地点にしっかり当てようという気持ち。
全身の至るところの感覚をひらいている感じがしました。
真ん中に当たらないと、樹の表面のみが削れたような薄い薪が飛び散ります。
オーディエンスからは「焚き付け~!!※」との声。笑
※火を着火させるためにすぐ燃えるような材ですねという意味です。
斧の重みに負けないように何度も振り下ろすこと数回。
そしてやっと...
割れました....ぜえぜえ、はあはあ....。
↑割れてよかったね。おめでとう!というような温かい皆様の目線。
冬の東北で、暖をとることは命にかかわる問題になりますが
昔の人はこうやって日々の中にたくさんの労働をかかえて生きていたんですね。
薪割は身体全体を使って神経を研ぎ澄ます作業でした。
今日や明日を生きる力になる、というか、
むしろ自然に、やらねば生きられないこと、というか
スイッチ一つで部屋が暖かくなるようなことではなくて、
生きることと直結する作業が全神経を駆使した労働であるという感覚が清々しく感じられました。
ああ、暖炉はだから美しいのかな、惹きこまれるよなあ。
と、昔の暮らしの中にあるとても古い習慣の中に、
自分にとってはものすごく新しい感覚をまた一つ、拓かれた想いがしました。
もともと東京のように夏場暑いところでは味噌作りはむかないと思っていたのですが、
豆種菌という発酵食を提供しているお店でたまたま友人と「東京だと味噌作りは無理だよね~。
日中締め切った部屋だとものすごく暑くなるしね~」と話していたら、これを耳にした店主さんが「できますよ!」と笑顔でひとこと。
店主さんによるとその夏の暑さを越したものが断然美味しいとのこと。
この言葉に背中をおされ、2年前に初めて味噌作りに挑戦したのでした。
そして暑い夏越しした味噌は、本当に美味しかった!
時間を増すごとに熟成されていき、その変化も楽しくて。
その成功体験?に気を良くした私は今年も仕込みましたよ~。
■材料はこちら (約4kgの味噌ができます)
・大豆 1kg
・生米こうじ 1kg
・塩 約430g
・種味噌 250g
・消毒用アルコール 大さじ2~3
本当は種味噌に自家製味噌を使いたかったのですが、食べ切ってしまったので、
今回は海の精の玄米味噌を使用しました。
消毒用アルコールは、果実酒作りであまったホワイトリカーを使用しました。
■では仕込みです。
①一晩水につけた大豆を指先で軽くつぶせる程度までゆでる。
煮汁は300ml程度種水用としてとっておき、熱いうちに塩43g(分量外)を加えておく。
②ゆでた大豆を熱いうちにつぶす。
*前回はすりこぎやマッシャーを使いましたが、今回はビニール袋に入れてつぶすことにしました。
木べらや麺棒も使ってみたのですが、手でつぶすのがやりやすかったです。
暑いので軍手をして、歌をうたいながらつぶす娘
③よく手を洗ってから、カメを熱湯消毒し、内側をアルコールでふいたあと、底に塩(分量外)を
まんべんなくふる。
*我が家ではカメの代わりに、パスタパンを使用しています。
⑥小指がすっと入るくらいのやわらかさで、よく混ざったらおにぎりくらいの大きさの味噌だんごを作る。
固い場合は①でとっておいた種水を加えて調整する。
⑦味噌だんごをカメに数個ずつ詰めて、手のひらでつぶし、空気を抜くようにまんべんなく
敷き詰めていく。
⑧全部詰めたら平らにならし、カメの内側とふちをアルコールできれいにふく。
空気にふれないよう上面をラップで覆い重石をする。
*我が家では重石の代わりに塩をビニール袋に入れたものを使用しています。
天地返しをする梅雨の頃までそのまま置いておきます。
今年の味噌はどうなるか?う~ん、楽しみです。
東急沿線で配られるフリーマガジンSALUSに、楽しみにしている連載エッセイがある。
コピーライターの岩崎俊一さんの「大人の迷子たち」。
TVを見ていて、何かのフレーズが心にとまるということはほとんどないのだけれど、ミツカンの「やがて、いのちに変わるもの」というコピーは気になっていた。
岩崎さんがその作者だと知って「なるほど」と納得がいく気がしている。
表題の「さらば、いとしきお正月」は今月号のタイトルである。
岩崎さんは年末ふと、「お正月」という歌が絶滅種に分類されかねないと思った。それは、凧やコマで遊ぶ子供がいなくなったことを指しているのではなく、「早く来い来いお正月」のフレーズだという。
小さいころの岩崎さんにとって、「日頃めったに会えない大好きないとこたちと、おいしいものを食べ、心ゆくまで遊べる一日は、まぎれもなくタカラモノだった」。
「今は、楽しみが日常的に用意され、会うため、声を聴くための通信や交通手段も格段に進歩し、祭りや正月に凝縮されていた子どもの楽しみは、拡散し、薄められた。そんな子供たちが『早く来い来い』と声を揃えて歌うことはないだろう」と。だから絶滅危惧種。
エッセイでは、大人になってからの岩崎さんの正月も語られている。
岩崎さんには、心臓の病で倒れ不自由な身体で、帰省する息子を待ちわびているお母さまがいた。「玄関の外で僕たちを待ち受け、見つけた瞬間の母の歓喜を、今もありありと思い出す」と書いている。
30歳で母を亡くすその年まで、母の元へ帰る、それが岩崎さんにとってのお正月だったのだろう。
「僕の帰省への報酬は、その瞬間を見るだけで十分だった。その姿を見るだけで、仕事の場でいまだ明快に求められることのない僕という存在を、今確かに必要としてくれる人がいる。そう思えるのだった。そしてその思いは、また始まる苦難の一年に立ち向かう勇気を与えてくれた。」
私も大人になって気づいた。生まれてからずっと無条件に、無償で、惜しみなく「あなたは大切な人だ」とメッセージし続けてくれた人がここにいると。
「あなたは大切な人」と受け入れられることで生きていくことができるのが、人の本性であってみれば、それはかけがえのない存在だった。
社会の中で悩み、もがき、時に疎外感の中で孤立し、そんな体験を積み重ねれば積み重ねるほど、その存在の大切さを思い知る。
ただ「私」を待ちわびてくれる人がいる。そのことの尊さを思わずにはいられない。
この秋に母が逝き、今朝は友人から大切な家族を亡くしたと知らせが届いた。
今夜は、子どもの頃焦がれるように待ちわびたお正月や夏休みの輝きとともに、失ってしまったいくつものタカラモノの欠片を拾い集めてみようと思う。
最近の記事
- 「古きよきをあたらしく」サルビアさんのお店
2024年6月 5日 - 旬の便り 筍
2024年5月10日 - 小亀の大冒険
2024年4月18日 - コナラ 新芽の輝き
2024年4月 4日 - 桜ひこばえ
2023年4月10日