恵比寿日和

資本主義はそんなに速くなくていい

電車の中で緊急地震速報の着信音が一斉に鳴り響くのもシュールだけれど、人気(ひとけ)のない商業施設でからくり時計のマーチが鳴り響く光景も、それはそれでシュールだ、と思いながら月曜から出勤した。

テレビは24時間地震の報道を流し続けている。
テレビにツイッターにネット。
いつの間にか中毒になってしまっている。

こんな風に情報にさらされている内に自分の身体も心もひどく痛めつけられてしまう。

梨木香歩さんの「裏庭」を読んでいた。

この物語の中には、三つの「傷」のお話が出てくる。

一つ目は「傷」を恐れて互いに触れあうことのできなくなった国の話。

二つ目は「傷」を癒すことに夢中になってしまって、「傷」と向き合うことができなくなってしまった国の話。

三つ目は国中の人が溶け合って、とうとうひとつのかたまりになってしまい、それぞれを区別するのはそれぞれが持つ「傷」だけになってしまった国の話。

主人公の女の子は、「傷を恐れてはいけないこと」「傷に支配されてはいけないこと」「傷こそが自分をつくること」を3つの国を旅することで学んでいく。

この震災で、私たちは何を学ぶのだろう。

物語の中では「あらわになった傷は、その人間の関心を独り占めする。傷が、その人間を支配してしまうのだ。本当に、癒そうと思うなら、決して傷に自分自身を支配させてはならぬ」と語られる。


四国で一人暮らしをしている齢八十の母は、「電気があったり、水があったりして不自由なく生活することが申し訳無い」と言って、エアコンはつけず足下のヒーターだけで頑張っている。
四国電力圏内にいる彼女がこうして節電にいそしんでも、あんまり意味は無いんじゃないのと思いつつ、「風邪引かないでね」と言っておいた。
その一方で、ちょっとばかり後ろめたそうに「乾パンとおかゆを買った」とか。
「四国にいるのになぜ!?」とやっぱりツッコミたくなるが、友人によると松山でも懐中電灯が売れ切れているらしい。
危機に瀕しての人の心情とはこうしたものであるらしい。

この震災で私たちの暮らし方、ううん、生き方は変わるのだろうか?
「傷」に支配されることなく、正しく変わっていけるのだろうか。

電車も通信もスローダウン。
このままスローでもいいのかもしれない。
資本主義はそんなに速くなくていい。

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