恵比寿日和
2011年
5×緑の里山ユニットもある阿佐ヶ谷のカフェ「ひねもすのたり」からイベントのご案内です。
この夏、手織りの布の展示会
https://www.5baimidori.com/blog/201107-post-71.html
でお目にかかった奄美の田町さんからこんなお便りがとどきました。
"沖縄・奄美~九州~中部~関東~福島~北海道の人・もの・食をつなぐ"
というテーマで、下記のイベントを開催することになりました。
各地から器、手織りの布、旬の無農薬お野菜、手作りの食材などが届きます。
贈り物シーズンにふさわしく、どれもぬくもりの感じられるものばかり
ぜひお出かけいただければ幸いです。
日時 12月7日(水)~12月24日(土)11:30~19:00
(木,日,定休 12月15日はイベント営業のみ)
会場 器とcafe ひねもすのたり
〒166-0001 東京都杉並区阿佐ヶ谷北1-3-6 2F
TEL03-3330-8807 hp http://ひねもすのたり.com/
展示販売作品:手織り、手縫いの巾着、バッグ、国内産絹や麻、ウール 綿などのス
トール、
マフラー、土鍋、直接火にかけられる器、奄美、鹿児島、郡上(岐阜)などのお菓子
や食材、
北海道の無農薬無肥料栽培のかぼちゃ、熊本の無農薬有機栽培のれんこん、
イタリア直送今秋搾りたて無農薬オリーブオイル、オリーブの木のまな板、
奄美クリスマスシュトーレンなど・・
期間中"身体をあたためる食事と飲み物"、をテーマに
身体の中から温まる根菜類や塩麹など発酵食品を使った日替わりランチ
冬の酵素ジュース、黒炒り玄米茶、奄美のくびき茶などを店内で召し上がって頂けま
す。
酵素ジュースのワークショップや身体の芯からあたたまる根菜類を中心とした冬の味
覚を楽しんでいただく会
福島関連イベントもあります。
詳しくはこちらから
http://plaza.rakuten.co.jp/loveamami/diary/201111300000/
心のこもった手作り品とからだを温める食事で
皆様があたたかい冬を迎えられるお手伝いができますように・・
とうとがなし
先月の句会のお題は、「おでん」であった。
ということで、おでんについていろいろ考えた。
ま、おでんを嫌いな人はいないだろう。
何だかおでんと聞くだけでウキウキ~。
なつかしい、青春の屋台の味でもある。
ところで、おでんの味付けはその家の味覚を象徴するという話しを昔聞いたことがある。
わが家はうすあじのカツブシ&昆布だしベースで塩と薄口しょうゆを少し。
とまあ、関西風によくある味付け。
東京で暮らし始めた頃、おでんの黒いお醤油ベース甘ったるい出汁に驚愕。
さらに 「ちくわぶ」 という、聞きなれない、なにやらぶよぶよした具に出会った時には、
「こんなものをおいしいと食べる人たちってヘン!」と、思った記憶がある。
今ではそれもそれなりにまずくはないと思えるようになったが、やっぱり関西風の薄い色の出汁のほうが口に合う。
ということで、以下、おでんダネのマイ ベストスリーを決定してみた。
ジャ~~ンッ!
① さつま揚げ (何であれ、さつま揚げは好きなのです)
② 糸こんにゃく (歯ごたえもいいし、何よりノーカロリーがいい)
③ サトイモ (トロリ感がたまらない)
あとは、たけのこ、たこ、餅いり巾着、そこに銀杏が追随する。
ま、こうしてそれぞれの好みのものをあれこれぶち込み(失礼)、あとは勝手気ままに取り出せるのがおでんの魅力だろう。
さて、恒例のアフター句会では、新たなる発見が ?!
どうやら、おでんを酒のつまみにする人たちにとって、おでんをご飯のおかずにすることは邪道なことらしいのだ。 あくまでつまみであるという。
「なにいってんですかっ!おでんは立派なおかずですよ。だって、おでん定食があるではないですか」と、おかず派を主張した私。
なぜかその話が発端になって、
「そう言えば、ラーメン定食もあるし、焼そばをおかずにする人もいるらしい」
「いやいや、いなりずしをおかずにする人もいるらしい」
おっと、話が飛行機デス (註; 話が大きく飛んでいってしまうこと)
おでん鍋をかこみながら、みんなの距離がぐっと近づくある夜のお話でした。
おでん鍋 僕とあなたの必然性 結女
11月の句会の様子は、以下で覗けます。
http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/entry-11082683508.html
夏座敷。生絹(すずし)の簾、簾戸、藤の敷物。
夏の暑さをしのぐ工夫。
写真:「京都の意匠」建築資料研究者
このシリーズが始まって、ほぼ一ヶ月半。
そもそも読書好き、作文好きのM田さんの発案でスタートした。
じゃんけんポンで、勝った私は最後の番。
「やった!一ヵ月あるぞ!」と思ったのも束の間。だんだんとその日が近づくにつれ、
締め切りに追われる作家(いや、受験に追われる浪人生)の気持ちになり、あせるほどに
好きな本なる本が決まらなくなってきた。
最初の頃は、「あっ、あれにしよう、これもいいなあ」なんて思っていたのに、すっかりそのころの気持ちはどこかに行ってしまって、一体全体、好きな本なんてあるのかな~と考え込んで、時間ばかりが過ぎていくのである。
そもそも「好き」というのと「感銘を受ける」と「影響を受ける」とでは違うし~。
「好き」と言われてもその時々で違うし、一冊になんて絞れないわ~など、あ~だこ~だ、ぶつぶつブツ。
基本的に、本は読んだらよほど気に入ったものを除いて、ほぼ捨てる。
この作業を繰り返して、今手元にあるのが40~50冊程度。
以前は本箱いっぱいに溜めこんでいたが、自分以外の家族の本が異様に多く、このままでは家の床が受けると思ったのがきっかけ。
せめて自分のだけは捨てようと決心し、いつのころからか、読んだら捨てることを習慣にし始めた。
幾たびもの廃棄処分を経て、今も手元に残っている古い本が、きっと自分の好きな本なんだろうということで、今回の一冊を決めた。
何とも前置きが長くなったが、その一冊が昭和55年に書かれた「詩の日本語 大岡信」である。
この作者の「折々のうた」は、多くの人になじみが深いと思うが、私もまた
もう新聞なんてやめてしまおうと思いながら、このコラムがあることで結局何十年も新聞を取り続けてしまった。
この小さな詩歌のコラムが朝の自分にどれほど深い呼吸をあたえてくれたかと思う。
詩の日本語は、この希代の詩人(というより芸術家)が日本の詩歌世界に対して自分の疑問を自分自身で探求していくという試みの本である。
正直、折々のうたで書いていた文章は読み物としてもすんなり入り込めていただけに、作者がこんなにも深く、精力的に日本の詩歌と向き合い続けていた人とはこの本を読むまで恥ずかしながら知らなかった。
この本を読みながら、こういう人がいたんだと、何度も本を閉じて、感動を味わった。
全第16章のなかで自分にとってことに関心が深かったのは以下の章だった。
このあたりの章には鉛筆で何度もなぞった跡がある。
「第2章 日本詩歌の変化好み(移ろう色が語るもの」
「第3章 反俗主義と色離れ(内触角重視が語るもの」
「第4章 恋歌の自己中心性(ひとり寝の歌が語るもの」
「第15章 詩歌の革新と充実(子規の歌が語るもの)」
ことに第3章での日本人の色彩感覚は推理小説を読むほどに面白かったので
長くなるが、引用してみたい。
日本には豊かな色が数多くあるが、それらは色の変わりに「もの」を直接指示している。うすむらさきというかわりに、藤袴は萩、葛を直接名指す。黄という代りに、山吹をいい、女郎花を・・・(略)。
植物だけでなく、顔料もまた。丹砂、朱砂、燕支。青紫、空青、紺青、緑青・・(略)・と物質の名で呼ばれる。
つまりそれらは「色彩」として抽象されず、個体の持つ地色として理解されている。
つまり日本語には古来色彩を表す形容詞がきわめて乏しく、白い、黒い、赤い,青い いかなく、黄色いという、いわば変則的な形容詞が遅れてやっと登場したということも当然だったということになる。
・・(中略)・・
自然の事物一つひとつにそれにふさわしい名前を与えそのものの色名と知るのは鋭敏な感性的精緻と洗練を必要とするが、その反面、個々の色の微妙なニュアンスの差異を超えて、色環的な認識を形作るために抽象の努力をするということが、耐えて行われなかったということは、日本人の認識能力にある種の本静的な欠落があることを示すかもしれないと思われると。
・・(後略)・・
この文脈はこうしたさまざまな事物を即座に色と感じ取っていた物心一体の頃から、やがて事物の色を離れ、心の色を確立していく日本詩歌の系譜へとつながっていく。
このあたりの自分の疑問に対して、冷静に自分で史実を積み上げながら答えに近づいていく様は、息をのんでしまうような迫力がある。
日本詩歌の本質の内容もさることながら、この姿勢こそに、感動してしまう。
長くなったので今回は書くのをやめるが、
「第15章 詩歌の革新と充実(子規の歌が語るもの)」の中で描かれる子規という文学者に向けるまなざしは、何度読んでも涙が止まらない。
ということでおススメの本ではあることは間違いないが、少なくとも詩歌に全く興味のない人には興味がないだろうなあ。
そういうたぐいの本であることは、間違いない。
私の好きな本4
私がご紹介するのは
建築の詩人 カルロスカルパ/著 斎藤 裕 TOTO出版
です。
この本を私は持っていません。
なんだか手に入れる事も勿体ないような気がしているスペシャルな存在です。
学生のとき、ぼんやり選んだ建築コースで出た課題、「住宅十選」。
好きな建築家の住宅の平面図を10件手書きでトレースするという一週間の課題が出ました。
先輩からの「建築は潰しがきくからどんなデザインにも転向できる」というアドバイスと、
当時すごさが何もわかっていなかったけれど、
学校の創始者が日本建築の巨匠清家清先生だったこともあり
ここは建築の学校、もちは餅屋だ!という理由で選んだため、
建築のことがなにもわからないままに住宅を十件も選ぶのは至難の業でした。
そんなとき、いつもさぼりに通っていた図書館の建築書の中で出会ったのがこの本でした。
森の中の木々に囲まれた静かな二階の片隅にひっそりとおかれていたこの本に、
瞬く間に心を奪われました。
差し込む光や素材の調和、洗練された手仕事が随所に光るディテール、
見たことのない形が組み合わされて出来た居心地のよさそうな空間、
豊かな石造りの暖炉やたっぷりとしたソファーから眺めるイタリアの田舎の風景。
美しい時間と空気を作ることができるのが「建築」なのだと感動しました。
しかし住宅は10件も見当たらず、それもそのはずで、カルロスカルパは
日本のスクラップビルドとは対極的なヨーロッパの文化の中で保存改修に長けており
さらに彼の一番の名作と言えばお墓。(広い意味ではお墓は住宅とも言える気がしますね)
無知な私の小さな脳みそをフル回転させて彼と関わりがあると書かれていた、
ルイスカーンやマリオボッタ(日本ではワタリウム美術館があります。)の住宅を追加して
なんとか十件に達したのでした。
多分、課題の一番重要な狙いは、
図面の書き方を学ぶ事、住宅がどんな表現で書かれるかを知る事で
それに反して自分の好きな建築を見つける事に没頭してしまった私は、
初めて学校の課題で3日3晩の徹夜をし、一人だけインキングもできず、
なにがどうなっているかもわからないまま課題を提出したのでした。
それでも自分だけの宝物を見つけたような気分で、
見た事のない光や構成や世界観そのものに憧れて
時々モチベーションを上げたいときには図書館や書店に並ぶこの本に会いに行ったものでした。
5×緑の面接の日、この本ではないけれどスカルパの本が本棚に並んでいるのを目にしました。
なんとなく、色々な意味で大丈夫な気がして嬉しかった事を憶えています。
人生で一度は彼の建築に出会いたいなあ。
でも見てしまった後の自分はどうなるんだろう、どんな時に見に行けばいいんだろう、
そんな風に大切に思っている存在です。
「好きな本」のお題目に適っておりますかどうかあやしい内容ですが、
わたしのものづくりに対するときめきが詰まった一冊です。
第4回のご紹介は「日本の色辞典」(吉岡幸雄 紫紅社)です。
日本の伝統色のうち209色を中心に、379色の色名解説と植物染料で絹布を染めた色見本や
関連する植物・風景・織物などの写真が掲載されています。
(色見本については、一部岩絵の具を和紙に塗ったものもあります。)
桜色、萌黄色、山吹色といった馴染のあるものから麴塵(きくじん)、空五倍子色(うつぶしいろ)
といった色名も色合いも本で初めて知るようなものまでたくさんの色が見られ、
もともと「色」、特に日本の伝統色が好きな私には持っているだけで楽しい、という本なのですが、
この本の素晴らしいところは何と言っても、日本の伝統色を再現した布の美しさ。
淡い色から濃い色まで、植物だけでこんなにも深く澄んだ色が、と驚かされ、
眺めていると色から力をいただけるようです。
色名も興味深いものです。
「自然の一瞬の姿、花のひとひらや風に揺れる枝葉の裏表に、木の実の色と形に、
人々は魅せられて、それらにゆかしい名をつけるようになっていった。」と前書きにありますが、
曙色、若菜色、朽葉色、団栗色といった色名を見ていると、万葉の昔から王朝の貴人、
武家、江戸の庶民と受け継がれてきた日本人の自然への想いに触れ、
つながるような気がします。
「卯の花色」というのもありますが、卯の花はウツギのことだそうで、
里山ユニットでお目にかかったっけ、と5×緑にご縁をいただいてから
新たに親しみを覚える色も増えてきました。
著者は江戸時代から続く京都の染屋の五代目当主で、
染師の方と共に植物染による日本の伝統色の再現に取り組んでおられるのですが、
長く美術工芸の出版に携わっていたこともあり、染めの体験談から歴史・文学まで
解説も充実しています。
「紅絹色(もみいろ)」の項では、昔の女性は肌に近い裏地などに紅絹(もみ)を
使っていたけれど、染料の紅花には血液の循環を良くする薬効も、とあり、
単に女性らしい色合いというだけでなく、冷えを防ぐために
着るものにも植物の力を上手に取り入れていた知恵に感心させられました。
眺めても読んでも楽しい、日本の色と植物に興味がある方におすすめの一冊です。
今回ご紹介させていただく本は、ジル・バークレム作「のばらの村のものがたり」
という絵本シリーズで、春・夏・秋・冬に分かれて野ネズミの話しが描かれています。
私の原点とも言える本です。
この絵本の素晴らしいところは、ねずみが木の中に生活しているというユニークな
設定と、葉っぱ一枚、お皿一枚まで緻密に描かれた可愛らしいイラストです。
小さい頃は何度も読んでは、こんな木の中に住んでみたい!とか木の家で生活したい、とよく想像しながら絵を描いたりしていました。
野原や小川、絵本に出てくる舞台が大好きで、中学2年の夏、親にこんな所に行ってみたいとせがみ、イギリスのコッツウォルズ地方という美しい田園風景が残っている場所を訪れました。
周囲は青々とした牧草地に囲まれ、何百年も前から残っている古い家並み。一軒、一軒家の脇には花壇があり、様々な草花が植えられていました。蔓やバラが家の壁をつたい、家と緑がとけこんだ美しい風景を見て感動しました。緑と人との距離が近く、のばらの村の絵本の世界とつながったような気がしました。
その頃から少しずつ緑化や景観保全に興味を持ち始め、将来そのような仕事に携わりたいと思うようになりました。
小さい頃にこの絵本に出会い、のばらの村の世界に引き込まれたお陰で「緑」が好きになり、夢を思い描くようになったように思います。
都市環境では、大きい木が残っている場や、様々な生き物が生きているのだと体験する機会が少ないので、こういった絵本が「緑」を好きになるきっかけになるのかなと思っています。
周りで赤ちゃんが生まれたと言ったおめでたい話しをよく聞くようになりました。
お母さん達に、お勧めしたい!と思いこの絵本を選びました。
バトンを引き継ぎ、第2回は、辰巳芳子さんの「あなたのために」(文化出版社)です。
この本の副題は「いのちを支えるスープ」。
そう、これは料理(スープ)の本です。
書店で表紙にひとめぼれ+辰巳さんの本+使えるかも!と即入手しました。
(読んでから「使えるかも!」は軽率だったと反省・・)
この本は嚥下困難に苦しまれたお父様のために作り続けたスープがベースになっているとのこと。
和・洋とスープが系統立てて整理され、スープを作る場合の心得に始まり、素材の選び方や切り方、取り扱い方、水のこと、火力のことなど調理上の注意から道具に至るまで、美しい写真とともに優しく、そして力強く紹介されています。食に対する哲学や1品1品に対する「想い」が感じられ、読んでいると背筋がピン!と伸びてくるような内容です。
スープを口にする方への心遣いはもちろん、食は生命の源、心のありようを学ぶような1冊です。
**********************
「使えるかも!」と思ったのにはわけがありました。
そのころ、食物アレルギーのため、食べられないものが多い娘の食事作りで四苦八苦していて、
常に頭の中は保育園に持参するお弁当&おやつのこと。
本の中にあるスープの材料を見ると、娘が食べられるシンプルな素材が多く、作れる!と思ってしまったのです。実際には、吟味された素材を同じように用意することは難しく、まったく同じようには到底できないのですが、それでも手をかけて作ったスープは身体にすっと入ってくる優しいお味でした。
三度の食事+おやつ作りで1日中キッチンにいるかも?ということも多く、
何で食事を作るのにこんなに時間がかかってしまうのだろうとよく思っていました。
(もちろん手際の悪さもあるのですが)
「早い=いいこと=優秀」というような無意識の中の思い込みのようなものにしばられていたような気がします。この本に出会って、一つ一つ手作業していけばそれなりに時間がかかるもので、その間に色々な想いが重なったり、想いが込められていくには時間も必要では―と思うようになりました。
そして大変だけど、食べてくれる相手がいることは幸せなことなのではないかと。
今は、お金を出せばそれなりに美味しいものが手に入るし、「簡単・便利!」「混ぜるだけ」など、簡略・スピードが売り文句の商品もたくさんあって (その1のM田さんの中でも触れていますね)
忙しいときは、とても役立つし、助けられることもしばしばですが、これらが全く使えなくなって始めて、いかにこれまでの暮らしの中にあふれていたのかと気づきました。
あまりにこういったもの囲まれてしまうと"そもそも"が何であったか遠くなってしまう気がします。
知らなくても生きていくのに支障はないのかもしれません。
それでも娘には少しずつできることから伝えていきたいなぁと思っています。
と話がそれましたが、私にとってこの本は、楽な方に流されそうになってしまう時、料理をするということ、想いのこもった料理の力を改めて確認するためのもどるべき場所のひとつになっています。
娘いわく「虹色の本」
この夏「私の好きな本」をテーマに、スタッフでブログをリレーします。
第1回は西村佳哲さんの「自分の仕事をつくる」(晶文社/ちくま文庫)です。
5×緑をはじめて7年。ものづくりのはしっこに身を置かせてもらって現場をのぞくうちに、胸の中にもやもやとたまるものがあった。漠としていた問題意識の核心をわしづかみにされて「ホラッ、これでしょ」って見せられたような新鮮なおどろきとスッキリ感。そして、心にしんとしみてくるメッセージが、その「まえがき」には詰まっていた。
私がここであれこれと解説するよりも「まえがき」を引用させていただいた方が早いと思う。
著者の西村さんは、「まえがき」をこんな風に始めている。
〈目の前の机も、その上のコップも、耳にとどく音楽も、ペンも紙も、すべて誰かがつくったものだ。街路樹のような自然物でさえ、人の仕事の結果としてそこに生えている。〉
けれども〈様々な仕事が『こんなもんでいいでしょ』という、人を軽くあつかったメッセージを体現している〉と西村さんはいう。その結果私たちの身の回りには、そうした仕事の結果としてできたモノであふれることになる。
〈たとえば安売り家具屋の店頭に並ぶ、カラーボックスのような本棚。化粧板の仕上げは側面まで、裏面はベニア貼りの彼らは、『裏は見えないからいいでしょ?』というメッセージを、語るともなく語っている。〉
でも
〈人間は『あなたは大切な存在で、生きている価値がある』というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。〉
だから
〈『こんなものでいい』と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。とくに幼児期に、こうした棘に囲まれて育つことは、人の成長にどんなダメージを与えるだろう。〉
ここまで読んで深く考えさせられた。私は「こんなもんでいいでしょ」という態度で自分の仕事に取り組んではいないか。そして、私たちの周りは・・・・・?
「自分の仕事をつくる」は、西村さんが「これは!」と思う「いいモノをつくっている人」たちにインタビューして、その働き方をまとめた本である。
八木保さんや象設計集団や柳宗理さんなど優れた仕事をしている人たちの12のインタビューと西村さんのコラムが収録されている。
そこには新しい視点を開かせてくれるたくさんの言葉が詰まっていて、一時(いっとき)はお守りのようにいつもかばんに入れていた。
最近、「安い!」とか「早い!」とか「便利!」とかいうのはもういいんじゃないかと思うことがある。
もちろん、価格は商品にとって大事な要素だし、便利なグッズに囲まれて怠惰に生活する私が言うのも気がひけるが、「安い」とか「カンタン」とか「手間要らず」とか、そんなことばかり追い求めているうちに、大切なものがボロボロと指の間からこぼれ落ちていくようで、不安になる。
こんな流れを少しでも変えることができるのだろうか。
そんなことを感じていたときに、この本に出逢ったのだ。
そして「まえがき」の言葉に勇気をもらえた。
〈結果としての仕事に働き方の内実が含まれるのなら、『働き方』が変わることから、世界が変わる可能性もあるのではないか。〉
〈この世界は一人一人の小さな『仕事』の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所にではなく、じつは一人一人の手元にある。〉
あぁ、本当にそうだなと思う。
この世界がどうであるのかは、自分次第なのだと思い定めることから小さな変化がはじまるのにちがいない。
***
「いま、地方で生きるということ」(ミシマ社)です。
実は、西村さんにランドスケープの仕事をテーマに本を書いていただけないかと画策しています。
実現するかどうかは私の説得力次第かも(?)です。
夏の暑い盛り、ラジオからふと耳に入った "友情アイス"
よくよく聞いていると、"友情アイス"とは、茨城県の味噌製造会社「ヤマイチ味噌」が、東日本大震災で被災した岩手県の醤油製造業「和泉屋本店」の醤油を使って作ったアイスクリーム「醤油あいす」のことだった。
津波で工場が流されてしまった和泉屋本店に残っていた醤油を使って、支援のためにヤマイチ味噌が手がけたという。両者の長男が同じ大学の研究室で交流があったそうで、「何とか励ましたい」との思いから生まれたアイス。
予約がいっぱいで製造が追いつかないというのに、こちらの都合でこの日に届けてほしいとお願いをしたところ、わざわざ電話をいただき丁寧に対応していただいた。
手元に届いた「醤油あいす」は、ほんのりと醤油の香りがする優しいアイスだった。
連日の猛暑日~~。
油断していたらどんなに健康に自信のある人だって熱中症になりかねない。
ましてや我々販売チームのようなやわな(?)女子たちは1時間も炎天下に身を置けばその後しばらくはやれ、「水だ」「アイス」だと、しばらくは仕事に戻れないのが常。
しかし、冷房のない屋外での作業が慣れっこのヤザワナーサリーの女子たちは、いつ行っても笑顔さわやか~~で、どうしたらあんな感じでいられるのだろうと不思議だったりする。
とある猛暑日の午後。たまたま納品間近なユニットのチェックにお邪魔することになった。
そこで対面したのが、シルバー色のクールベストを羽織ったガールズたち。
このベスト、何でも遮光率80%だそうで、背中が暑くなるのを防ぐらしく、今年の新商品なのだそう。
アルミコーティングをしたポリエステルと綿のメッシュ素材のようで、触るとひんやり心地よいらしく、実際に着てみても、何となく涼しい感じなのらしい。
なるほどなあ。
涼しげに見える人には気構え、体力、そして、なんとかしたいというたゆまぬ情報収集力が必要なようデス。
着方によってはタウン着にもなりそうなクールな感じのベストです。
ここ数日、K西さんはシロダモを食べている"あおむし"をマークしていたらしい。
彼らは夏バテ知らず食欲旺盛で、まんまると太った体?は愛らしいくらいである。
このあおむしは何だろうと調べてみると、彼らは「アオスジアゲハ」の幼虫のようで、
食草はクスノキ科の植物の葉。シロダモはクスノキ科なので好物なのだろう。
これから黒地に鮮やかな青緑色のラインが美しい翅を持つ蝶になる、ハズ。
オフィス近くにクスノキの街路樹があるのも関係していたのか、
これまでも夏の暑い時期、リズミカルに飛び回る姿に目を楽しませてもらっていた。
今年はここから羽ばたいていく日が楽しみである。
左が中齢、右が終齢でさなぎになる日も間近。
"緑色のカバ"に見えてしまうのは私だけでしょうか・・・。
前々回のY内さんの誕生日つながり(?)で、5×緑のボスことM田さんの誕生日ブログに一度登場しましたK西です。
この度ブログに参加させて戴くことになりました。
梅雨空のもと、オオタカ保護基金のトラスト地を訪れました。
朝早く、東京駅でフレッシュ新人Y内さんと新幹線に乗って那須塩原へ。
塩原の駅では素敵な長靴を履いたM田さん・車で矢澤さんと合流し、オオタカ保護基金の方達が待つ道の駅へ向かいました。
道の駅で集合後、車で15分ほど里の中を通り過ぎ、トラスト地へ到着。周囲の国有林内には、オオタカの格好の営巣場所となるアカマツ林があり、山の中でこんな立派なアカマツ林にお目にかかれるとは・・・と感嘆。
途中では白い花を咲かせたハクウンボクやコゴメウツギ、林床に生えたギンリョウソウを見ることが出来ました。(写真は下に掲載)
オオタカ保護基金のスタッフの方からは「このツツピーツツピー鳴いているのがヤマガラで・・・」と説明を聞き、耳をそばだてて鳴き声の方向へ双眼鏡を向けたり、当たり前とはいえ「耳」を使うことが新鮮でした。(職業柄、植物の方へ注意がいってしまいます。)
この林でオオタカに会う事は叶いませんでしたが、ノスリという鷹が空高く飛んでいる姿を見る事ができました。
次の週に自然観察会で山の中を歩いた時、植物だけでなく鳥の鳴き声にまで注意が向くようになり、今回の体験は非常にありがたいものだったと実感しています。
みなさま、はじめまして!
今月から5×緑に仲間入りさせていただきました新人Yです!!
ついに5×緑ブログ恵比寿日和にも参加させていただくことになり、
キーボードを叩きながらぶるぶる震えている次第です。
どうぞよろしくお願いいたします!!
恵比寿日和ファンの皆様はお気づきかと思いますが、
このブログでは演者によってそれぞれのお印をいただいているとのことで、
わたくしのブログ末尾のお印は"香"をいただきました。
個人的にゆかりのある一文字ではありますが、
においは季節や記憶とともに、わたしたちの日常のすぐそばにある
風景の一つだと思います。
緑の草花のにおい、夏の花火のにおい、旬の食べ物の焼かれるにおい、
実家の扉を開けた時のにおい、自分のお気に入りのせっけんのにおい。
香りはかたちにはみえないものですが、些細な日常の中でも
心に迫る美しさを感じられるような、そんな雰囲気を感じさせてくれるこの"香"という字が
わたしはとても大好きです。
写真は、初っ端からわたくしがお誕生日を祝っていただいた時の写真です!!
お誕生日と5×緑デビューが重なり、喜びであふれる6月になりました。
華やかなケーキと素敵な薔薇の花束でお祝いしていただきました。
ありがとうございました。
というわけで、これから悲喜交々お伝えしてゆこうと思いますので
どうぞよろしくお願いいたします。
声上げて泣きたし サクラまだ咲くな
月曜日の朝、新聞の歌壇俳壇ページを切り取って、電車の中で読むのが長年続いている楽しみのひとつ。
だが、このところこの楽しみの時間が悲しみの時間に変わってきた。
というのも、この数週間、このページで読まれている内容のほぼ9割が今回の震災に対する深い悲しみを詠んでいて、どれもこれも深く胸に迫ってきて、やりきれなくなってくるからである。
わが俳句の師は、俳句でこうした事象を読むのは難しい、そしていい句ができにくいとおっしゃる。
確かに、短歌と俳句を詠み比べるとよくわかるのだが、短歌は悲しみに寄り添うに十分な長さがあるが、それに比べて、俳句という器は、具体的な気持ちを詠むには短すぎ、それでも詠もうとするとなんとも意図的なものを感じさせて、余韻が残らないような気がする。
それでも・・・どうしても...この思いを詠みたくなるのが、俳句愛好者という人たちである。
冒頭の句は、そういう句である。
電車の中で、新聞を読んでいて、ふとしたタイミングで涙腺がプッツリ切れてしまい、涙が止まらなくなった。
これはみっともないと思って、途中の駅で降りて、駅前の桜の下のベンチに座って涙を乾かしながらつくった句である、いやつくったのではなく、できてしまったというべきだろう。
先日の句会で、この句を出してみることにした。
11人がそれぞれ8句ずつ自作を持ち寄り、全88句の中から、その場で8句(そのうち1句は特選)を選ぶ。
つまり88句に対して88の選ばれるチャンスを持っていることになる訳だ。
まんべんなく選ばれそうに見えて、いいと思う句はかなり共通する。
高得点もあれば、全く点が入らないものも出てくる。
この日、この句には、1人だけ点を入れてくれた人がいたが、まあ、結果的には評価の低い句となった。
それでも、一人でも選んでくれた人がいたことは、この日は、無性にうれしかった。
その時の師の講評は、
「ここまで言い切ってはどうかと思う。俳句の良さは平明にして
余韻があること。この句はそれを感じさせない」
確かに......。
ここまで言い切ると、読み手に預けるものが何もなく、自分だけの独りよがりな句になってしまう。
それでも詠まずにはいられない時にできた句は、本来であれば人に見せるべきではないのだろう。
ただ、困ったことに、やっぱり誰かに共感してほしくて、うかうか句会などに出してしまうのである。
目を開けてゐるのだらうか 春の闇 結女
4月の句会の様子は、以下で覗けます。
http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/day-20110424.html
星空を仰ぐと、幾千もの無念と幾万もの悲しみが降ってくるようで、息が詰まりそうになります。
その傍ら、道すがらの人々や日常を共にする人々の眼差しがいつもより少し優しいのに気づきます。
共に大きな悲劇の中にあることへの暗黙の了解、それは互いに手を携えてこの危機を乗り越えていこう、という静かな決意の表明であるのかもしれません。
春の花がつぼみを膨らませ始めました。
その確かさ、揺るぎなさに、希望の文字が重なります。
願わくは、空を覆うような悲しみにもまして、希望の光が地にあふれますように。
しゅんじつ いしずちさん
春日の 海のぶつかる石鎚山
冷蔵庫の中にいるような寒の戻りだった。
暖かさに慣れ始めてきた身体にこの寒さはしみじみ堪える。
もうそろそろしまおうかと思っていた重たいコートを取り出して、これで最後であってほしいと思いながら袖を通す。
春を切実に待ちわびるのは、決まってこの時分。
山茱萸が咲き、あともうひと息でマンサクが咲きだしそうな・・・そして春分まであと一週間ほどというころである。
瀬戸内海に面した温暖な街で育った身にとって、春の色はみず色とも空色ともつかない淡い"みずそら色"のグラデーション。
淡い海のみず色は空に移り、空色となる。それはそのまま峻険な四国山地の山並みに溶け込んでやや深みを帯びていく。
この、海から空へ、山へとつながる景色のなかにいると、果てない宇宙の色は紺色でも、青色でもなく、みず色と空色が混じった"みずそら色"に思えてくる。
そんなことを感じるのも、瀬戸内海があまりにも穏やかにきらきらゆらめいているからだろう。
あともう少しで春本番。
そんな頃の瀬戸内の街は、人々の顔つきまでも穏やかな記憶の中にある。
春のバス 伊予柑色に染まり来し
伊予鉄バスはこんな、
色だったかと・・・。
2月の句会の様子は、以下で覗けます。
http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/day-20110227.html
何だかんだといって、もう立春。
心なしか、月も星もうるんできたように見えてくる。
いや、もしかしたら、季節のせいではなく、私の視力がますますあいまいになってきたせいなのかもしれない。
犯人は次世代携帯こと、「スマートフォン」。
今、使わないと一生使えなくなる(そんな大げさなものではないらしい)と、意を決して、自分への誕生日プレゼントに購入した(もちろん自分で)。
ギャラクシーという、韓国はサムソン製。
「これが一番ビジネスにもつかえて、どこでもつながる」という、家人の言葉に踊らされて、いそいそ、渋谷のDOCOMOショップに買いに行った...。
お店の人から操作説明を聞いているうちにいやな予感がした。
「本当に使いこなせるのでしょうか??」と私。
「最初はみんなそういうんですよ。あっという間に駆使できますよ!」とお店の人。
そうかな~。私人一倍理解力に欠けるんだけどなあ。まあでも、子供でも使っているんだし。
予感は的中した。
まず、タッチの反応が早すぎる。
そんなはずじゃないのにという画面がいつも現れてしまう。私の指のタッチにあわせてゆっくり反応してくれればいいのに、何か無駄に早いのだ。
そのうえ携帯の電話帳が使いにくい。
これまでならワンタッチですんでいたのに、2か3タッチでないと、必要な人に行きつかない。
私は片手で操作したいのにこうなると、両手が必要になるでないか。
最大の不幸は新幹線のEX予約ができないこと!!これはもはや致命的。
仕方がないので、携帯電話を持ち歩き、予約を取る段になって、スマートフォンからFOMAカードを抜き出し、携帯電話に差し替えで、終わったらまた戻すことにした。
「なんてこと?」「こんな不便なことみんなやってるの??」
JR東海に問い合わせても、目下スマートフォン対応はできていないという。
一体誰に訴えればいいのダロウ、こんなことってアリ?。
よく、みんな怒らないもんだわ。
まあ、しかし、分別ある大人がこんなことでひるんでいては、次世代についていけなくなる。
きっとウラ情報もあるに違いない。私が知らないだけかもしれない。そのうちだれかが教えてくれるに違いない。
それまでの間、このひとを嫌いにならないようにと、目が潤むほど一緒に過ごす時間をふやしている。
あ~、でもなれたころに、きっとアナログ人種向けの次世代携帯がでてくるんだろうなあ。
ココロの中は、もう一度普通の携帯電話に戻ろうかどうか、揺れている。
月凍る 万年筆の硬き夜は 結女
http://www.eweinmayr.com/ja/location/tokyo/index.htm
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