恵比寿日和

2011年

トコトン、トコトン、トコトン・・・・・。
山道を歩いていると、どこか林の奥から太鼓の音が聞こえてきた。
10年以上も前になるが、仕事で岩手県の遠野に通っていたときのことである。

音に魅かれて山の中に分け入ってみると、雑木の切れ目から小さなお社が見えてきた。
その前に、やはり小さな土俵があって、裸ン坊にまわし姿の男の子たちが東と西に分かれて並んでいた。丁度中学生くらいから小学校の低学年くらいだろうか。
背高比べのように、背の高い順に可愛らしく、きれいに並んで向き合っている格好が微笑ましい。
周りには親族とおぼしき大人たち。
取り組みが始まるとヤンヤの喝采である。
ジッちゃんもバッちゃんも声をはりあげて応援している。

「ホレッ!ツヨシ、腰ひくくしてぇ」
「ソレイケッ!」

森の中に突然現れた風景に、一瞬、お伽話の中に迷い込んだような気持になった。
イベントの告知がある訳でもなく、周辺に案内が出ている訳でもない。
この村ではきっと昔から毎年毎年繰り返し、この子供相撲が続けられてきたのであろう。

今でも時々あの時のことを思い出す。
そして、「あれは狐狸の類に化かされたのではあるまいか」と思うのである。

遠野といえば、いわずと知れた民話の里。
柳田邦男の「遠野物語」の舞台である。
河童や座敷童子やオシラサマの伝説は、あの頃も暮らしの中に色濃く残り、息づいていた。

もう亡くなってしまったが、私が遠野に通っていた頃、三浦徳蔵さんという植物の神様のような方がいた。
植物について、それはそれは詳しい爺様だったが、山の中の一軒家を東京の友人とお訪ねした時のこと。
時刻は丁度逢魔が時。薄暗くなっていく刻と息を合わせるように、徳蔵さんが狐に化かされたときのことを語りだした。聞かされた私たちはみんな、背中がゾクゾクしたことを覚えている。

さて、今回ご紹介したい本は梨木香歩さんの「家守綺譚」(新潮社/新潮文庫)である。

主人公は若くして亡くなった親友の生家の留守を守っている。
人が好くて、少々気が弱いが、正義感だけは人一倍の真っ直ぐな気性の男である。
土耳古帝国(トルコ帝国)のフリゲート艦、エルトゥール号の遭難の話が出てくるので、時代は明治の頃であろうか。

物語の中では、庭のサルスベリが主人公に懸想したり、子鬼がふきのとうを集めていたり、河童が衣を失くして困っていたりする。
揚句の果てには、亡くなったはずの親友が、掛け軸を通してこちらの世界へやって来る。
こうしたことが、さしたる不思議とも受け止められず、日々の様子が淡々と語られてゆく。
明治というのはまだまだ、物の怪だのあやかしだのが人々の暮らしの中に生きていた時代でもあるのだろうか。
思うに、こうした怪しのモノたちと日常を共にしている方が、人間の精神は真っ当でいられるような気がする。

この物語の章立てには、「カラスウリ」、「萩」、「リュウノヒゲ」など、植物の名が付けられている。
その中に「セツブンソウ」という一章がある。

主人公は文筆業を営んでいるが、筆が進まない。
執筆にはペンとインキを用いているのに筆が進まないとはこれ如何に?と思い至り、そして、
「文明の進歩は、瞬時、と見まごうほど迅速に起きるが、実際我々の精神は深いところでそれに付いていっておらぬのではないか。鬼の子や鳶を見て安んずる心性は、未だ私の精神がその領域で遊んでいる証拠であろう。鬼の子や鳶を見て不安になったとき、漸く私の精神も時代の進歩と齟齬を起こさないでいられるようになるのかもしれぬ。ペンが動かぬ、というよりは筆硯塵を生ず、と云った方が少なくとも私の精神に馴染む」などと感慨にふけっている。

そこへ久しぶりに亡き親友が床の間の掛け軸からやってくる。
友に「おまえは人の世の行く末を信じられるのか」と問われて主人公は
「ペンとインキか。人の世はもっと先までゆくだろう。早晩鬼の子など完全に絶えてしまうだろう。長虫屋などの商売も追いやられてゆくに違いない」と思いながら「分からない」と呟く。

親友が去った後の床の間には「見慣れぬ純白の繊細な造りの花」が落ちていた。
「下界にまみれぬ清澄な気配」を放っている。
その白い花、セツブンソウを拾い上げながら主人公は思うのである。
「成程これでは深山の奥にしか棲息できない」と。

時代は「ペンとインキ」をも遙かに通り越して、パソコンだのスマートフォンだのが主流となった。
世の中はどこもツルリと明るくなって、鬼の子も河童も竜もついぞ見かけることはない。
そうして、私たちの精神は、一体那辺を彷徨っているのだろうか。

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京都の生け垣

京都を歩いていると、寺社仏閣の名庭園に限らず、一般のお宅やちょっとした料理屋さんのお庭や生け垣がとても上手につくられているなと思う。

京都の町歩きの楽しさもこんなところにあるのではないかと思う。
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人の都合より木の都合?
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季節感のある南天の生け垣
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庭の屋を見せるために下枝を切った山茶花の生け垣
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5×緑の里山ユニットもある阿佐ヶ谷のカフェ「ひねもすのたり」からイベントのご案内です。

この夏、手織りの布の展示会

https://www.5baimidori.com/blog/201107-post-71.html

でお目にかかった奄美の田町さんからこんなお便りがとどきました。



"沖縄・奄美~九州~中部~関東~福島~北海道の人・もの・食をつなぐ"

というテーマで、下記のイベントを開催することになりました。

各地から器、手織りの布、旬の無農薬お野菜、手作りの食材などが届きます。


贈り物シーズンにふさわしく、どれもぬくもりの感じられるものばかり

ぜひお出かけいただければ幸いです。


日時 12月7日(水)~12月24日(土)11:30~19:00

   (木,日,定休 12月15日はイベント営業のみ) 

会場 器とcafe ひねもすのたり 

〒166-0001 東京都杉並区阿佐ヶ谷北1-3-6 2F

TEL03-3330-8807 hp http://ひねもすのたり.com/


展示販売作品:手織り、手縫いの巾着、バッグ、国内産絹や麻、ウール 綿などのス

トール、

マフラー、土鍋、直接火にかけられる器、奄美、鹿児島、郡上(岐阜)などのお菓子

や食材、

北海道の無農薬無肥料栽培のかぼちゃ、熊本の無農薬有機栽培のれんこん、

イタリア直送今秋搾りたて無農薬オリーブオイル、オリーブの木のまな板、

奄美クリスマスシュトーレンなど・・


期間中"身体をあたためる食事と飲み物"、をテーマに

身体の中から温まる根菜類や塩麹など発酵食品を使った日替わりランチ

冬の酵素ジュース、黒炒り玄米茶、奄美のくびき茶などを店内で召し上がって頂けま

す。


酵素ジュースのワークショップや身体の芯からあたたまる根菜類を中心とした冬の味

覚を楽しんでいただく会

福島関連イベントもあります。

詳しくはこちらから 


http://plaza.rakuten.co.jp/loveamami/diary/201111300000/


心のこもった手作り品とからだを温める食事で

皆様があたたかい冬を迎えられるお手伝いができますように・・


とうとがなし


おでんの夜に

先月の句会のお題は、「おでん」であった。

ということで、おでんについていろいろ考えた。
ま、おでんを嫌いな人はいないだろう。
何だかおでんと聞くだけでウキウキ~。
なつかしい、青春の屋台の味でもある。
ところで、おでんの味付けはその家の味覚を象徴するという話しを昔聞いたことがある。
わが家はうすあじのカツブシ&昆布だしベースで塩と薄口しょうゆを少し。
とまあ、関西風によくある味付け。

東京で暮らし始めた頃、おでんの黒いお醤油ベース甘ったるい出汁に驚愕。
さらに 「ちくわぶ」 という、聞きなれない、なにやらぶよぶよした具に出会った時には、
 「こんなものをおいしいと食べる人たちってヘン!」と、思った記憶がある。
今ではそれもそれなりにまずくはないと思えるようになったが、やっぱり関西風の薄い色の出汁のほうが口に合う。

ということで、以下、おでんダネのマイ ベストスリーを決定してみた。

 ジャ~~ンッ!
           ①  さつま揚げ  (何であれ、さつま揚げは好きなのです)
           ②  糸こんにゃく (歯ごたえもいいし、何よりノーカロリーがいい)
           ③  サトイモ    (トロリ感がたまらない)

あとは、たけのこ、たこ、餅いり巾着、そこに銀杏が追随する。
ま、こうしてそれぞれの好みのものをあれこれぶち込み(失礼)、あとは勝手気ままに取り出せるのがおでんの魅力だろう。

さて、恒例のアフター句会では、新たなる発見が ?!
どうやら、おでんを酒のつまみにする人たちにとって、おでんをご飯のおかずにすることは邪道なことらしいのだ。 あくまでつまみであるという。

「なにいってんですかっ!おでんは立派なおかずですよ。だって、おでん定食があるではないですか」と、おかず派を主張した私。

なぜかその話が発端になって、
 「そう言えば、ラーメン定食もあるし、焼そばをおかずにする人もいるらしい」
 「いやいや、いなりずしをおかずにする人もいるらしい」

おっと、話が飛行機デス (註;  話が大きく飛んでいってしまうこと)

おでん鍋をかこみながら、みんなの距離がぐっと近づくある夜のお話でした。


  おでん鍋  僕とあなたの必然性                     結女

 

11月の句会の様子は、以下で覗けます。
http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/entry-11082683508.html 

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古今和歌集に

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
             風の音にぞおどろかれぬる       藤原敏行

という有名な歌がある。

そういえば、俳句にも

秋来ぬと合点させたる嚔(くさめ)かな

という蕪村の句があった。

つくづく、季節の移ろいは気配で感じるものであったか、と思う。

町家には、表から裏へと通じる土間があって、これを「通り庭」と呼ぶ。
「通り庭」は人が行き来するとともに、自然が往来するところでもあった。

風が通り、光が抜ける。

今で言う庭は「奥庭」や「坪庭」と呼ばれ、時に「壺中の天」とも称された。
棕櫚竹がサワサワと鳴り、葛布の暖簾がかすかに揺れる。

そこに住む人の暮らしぶりが家に染みこんで景色をつくる。

要素や機能に還元できない行間ににじみ出るもの。
日本人はいつも、風情の中に美しさをみつけてきた。
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写真上: 「京都の意匠」 建築資料研究社
   下: 「京町家」 淡交社

林檎の詩(うた)

林檎の季節。
甘い果実を囓ると思い出す、とても好きな句があります。

星空へ店より林檎あふれをり   
                       橋本多佳子

 
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この秋、京都に旅をした。
町家の造りに通じる古い宿に泊まって、あらためて京都の、ひいては古くからの日本の暮らし方について感じるところがあった。

京都の暮らし方を見ていると、元々日本人は無駄を省くことの上手な民族だったのではないかと思える。
無駄なことはしない、もったいないことはしない。
物の中にも命の宿りを感じ、古びた物も繕い、手を入れ、別の物に姿を変えて再生させてきた。

町家も然り。
家の部材は使い回しがきくよう、最初から考えてつくられている。
「破壊」や「解体」ではなく「生けこぼち」。

そこからは「省の生活作法」「始末の美学」とでもいうべき昔ながらの暮らしの知恵が透けて見えてくる。

暑いときは暑いなりに、寒いときは寒いなりに、自然に寄り添い、知恵を傾けて暮らしていた。

それだけに、暮らしは一層愛おしく、慈しみ深いものだったのではないだろうか。
 
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夏座敷。生絹(すずし)の簾、簾戸、藤の敷物。
夏の暑さをしのぐ工夫。

写真:「京都の意匠」建築資料研究者

ホットケーキが好きだ。

それは多分、子供の頃の思い出。父に連れられていったデパートでホットケーキを食べるのが楽しみだった。
アイスクリームよりも好きだった。
今もホットケーキが好きなのは、「お出かけの時の特別なお菓子」の記憶があるからかもしれない。

先日京都に旅をして昔ながらな感じの喫茶店に入ったら、久々に正当派のホットケーキに出逢い、懐かしくてついつい頼んでしまった。

翌日、嵯峨野のおしゃれなカフェにパンケーキがあって、またしても注文。
ふわふわしててとてもおいしかった。

ホットケーキとパンケーキは本来同じもので「英語圏では主にパンケーキと呼び厚さはやや薄め、アメリカではホットケーキと呼ぶことが多い」らしい。

クラシックなホットケーキはどっしりしている。
「喫茶店」から「カフェ」へ。「どっしり」から「ふわふわ」へ。「重」から「軽」へ。
ホットケーキも時代に合わせて変わっている。
日本では、おしゃれに「進化」するのとともに呼び名もパンケーキに「進化」したのかしら、などとどーでもいいことを考える。

つまりは、ホットケーキ(今風にはパンケーキ!?)が好き、という話である。
 
 
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バターにメイプルシロップ。由緒正しき日本の喫茶店のホットケーキ
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ふわふわのカフェスタイルのパンケーキ
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スマート珈琲店
 http://www.teramachi-senmontenkai.jp/shop/s20/s20btm.html

カフェ嵯峨野湯
 http://www.sagano-yu.com/

このシリーズが始まって、ほぼ一ヶ月半。
そもそも読書好き、作文好きのM田さんの発案でスタートした。
じゃんけんポンで、勝った私は最後の番。
「やった!一ヵ月あるぞ!」と思ったのも束の間。だんだんとその日が近づくにつれ、
締め切りに追われる作家(いや、受験に追われる浪人生)の気持ちになり、あせるほどに
好きな本なる本が決まらなくなってきた。
最初の頃は、「あっ、あれにしよう、これもいいなあ」なんて思っていたのに、すっかりそのころの気持ちはどこかに行ってしまって、一体全体、好きな本なんてあるのかな~と考え込んで、時間ばかりが過ぎていくのである。
そもそも「好き」というのと「感銘を受ける」と「影響を受ける」とでは違うし~。
「好き」と言われてもその時々で違うし、一冊になんて絞れないわ~など、あ~だこ~だ、ぶつぶつブツ。

基本的に、本は読んだらよほど気に入ったものを除いて、ほぼ捨てる。
この作業を繰り返して、今手元にあるのが40~50冊程度。
以前は本箱いっぱいに溜めこんでいたが、自分以外の家族の本が異様に多く、このままでは家の床が受けると思ったのがきっかけ。
せめて自分のだけは捨てようと決心し、いつのころからか、読んだら捨てることを習慣にし始めた。
幾たびもの廃棄処分を経て、今も手元に残っている古い本が、きっと自分の好きな本なんだろうということで、今回の一冊を決めた。

何とも前置きが長くなったが、その一冊が昭和55年に書かれた「詩の日本語 大岡信」である。
この作者の「折々のうた」は、多くの人になじみが深いと思うが、私もまた
もう新聞なんてやめてしまおうと思いながら、このコラムがあることで結局何十年も新聞を取り続けてしまった。
この小さな詩歌のコラムが朝の自分にどれほど深い呼吸をあたえてくれたかと思う。

詩の日本語は、この希代の詩人(というより芸術家)が日本の詩歌世界に対して自分の疑問を自分自身で探求していくという試みの本である。
正直、折々のうたで書いていた文章は読み物としてもすんなり入り込めていただけに、作者がこんなにも深く、精力的に日本の詩歌と向き合い続けていた人とはこの本を読むまで恥ずかしながら知らなかった。
この本を読みながら、こういう人がいたんだと、何度も本を閉じて、感動を味わった。
全第16章のなかで自分にとってことに関心が深かったのは以下の章だった。
このあたりの章には鉛筆で何度もなぞった跡がある。

        「第2章 日本詩歌の変化好み(移ろう色が語るもの」
        「第3章 反俗主義と色離れ(内触角重視が語るもの」
        「第4章 恋歌の自己中心性(ひとり寝の歌が語るもの」
        「第15章 詩歌の革新と充実(子規の歌が語るもの)」

ことに第3章での日本人の色彩感覚は推理小説を読むほどに面白かったので
長くなるが、引用してみたい。

日本には豊かな色が数多くあるが、それらは色の変わりに「もの」を直接指示している。うすむらさきというかわりに、藤袴は萩、葛を直接名指す。黄という代りに、山吹をいい、女郎花を・・・(略)。
植物だけでなく、顔料もまた。丹砂、朱砂、燕支。青紫、空青、紺青、緑青・・(略)・と物質の名で呼ばれる。
つまりそれらは「色彩」として抽象されず、個体の持つ地色として理解されている。
つまり日本語には古来色彩を表す形容詞がきわめて乏しく、白い、黒い、赤い,青い いかなく、黄色いという、いわば変則的な形容詞が遅れてやっと登場したということも当然だったということになる。
・・(中略)・・

自然の事物一つひとつにそれにふさわしい名前を与えそのものの色名と知るのは鋭敏な感性的精緻と洗練を必要とするが、その反面、個々の色の微妙なニュアンスの差異を超えて、色環的な認識を形作るために抽象の努力をするということが、耐えて行われなかったということは、日本人の認識能力にある種の本静的な欠落があることを示すかもしれないと思われると。

・・(後略)・・


この文脈はこうしたさまざまな事物を即座に色と感じ取っていた物心一体の頃から、やがて事物の色を離れ、心の色を確立していく日本詩歌の系譜へとつながっていく。
このあたりの自分の疑問に対して、冷静に自分で史実を積み上げながら答えに近づいていく様は、息をのんでしまうような迫力がある。
日本詩歌の本質の内容もさることながら、この姿勢こそに、感動してしまう。

長くなったので今回は書くのをやめるが、
「第15章 詩歌の革新と充実(子規の歌が語るもの)」の中で描かれる子規という文学者に向けるまなざしは、何度読んでも涙が止まらない。

ということでおススメの本ではあることは間違いないが、少なくとも詩歌に全く興味のない人には興味がないだろうなあ。
そういうたぐいの本であることは、間違いない。

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私の好きな本4

私がご紹介するのは

建築の詩人 カルロスカルパ/著 斎藤 裕 TOTO出版

です。

 

この本を私は持っていません。

なんだか手に入れる事も勿体ないような気がしているスペシャルな存在です。

 

学生のとき、ぼんやり選んだ建築コースで出た課題、「住宅十選」。

好きな建築家の住宅の平面図を10件手書きでトレースするという一週間の課題が出ました。

先輩からの「建築は潰しがきくからどんなデザインにも転向できる」というアドバイスと、

当時すごさが何もわかっていなかったけれど、

学校の創始者が日本建築の巨匠清家清先生だったこともあり

ここは建築の学校、もちは餅屋だ!という理由で選んだため、

建築のことがなにもわからないままに住宅を十件も選ぶのは至難の業でした。

 

そんなとき、いつもさぼりに通っていた図書館の建築書の中で出会ったのがこの本でした。

森の中の木々に囲まれた静かな二階の片隅にひっそりとおかれていたこの本に、

瞬く間に心を奪われました。

差し込む光や素材の調和、洗練された手仕事が随所に光るディテール、

見たことのない形が組み合わされて出来た居心地のよさそうな空間、

豊かな石造りの暖炉やたっぷりとしたソファーから眺めるイタリアの田舎の風景。

美しい時間と空気を作ることができるのが「建築」なのだと感動しました。

しかし住宅は10件も見当たらず、それもそのはずで、カルロスカルパは

日本のスクラップビルドとは対極的なヨーロッパの文化の中で保存改修に長けており

さらに彼の一番の名作と言えばお墓。(広い意味ではお墓は住宅とも言える気がしますね)

無知な私の小さな脳みそをフル回転させて彼と関わりがあると書かれていた、

ルイスカーンやマリオボッタ(日本ではワタリウム美術館があります。)の住宅を追加して

なんとか十件に達したのでした。

多分、課題の一番重要な狙いは、

図面の書き方を学ぶ事、住宅がどんな表現で書かれるかを知る事で

それに反して自分の好きな建築を見つける事に没頭してしまった私は、

初めて学校の課題で3日3晩の徹夜をし、一人だけインキングもできず、

なにがどうなっているかもわからないまま課題を提出したのでした。

それでも自分だけの宝物を見つけたような気分で、

見た事のない光や構成や世界観そのものに憧れて

時々モチベーションを上げたいときには図書館や書店に並ぶこの本に会いに行ったものでした。

 

5×緑の面接の日、この本ではないけれどスカルパの本が本棚に並んでいるのを目にしました。

なんとなく、色々な意味で大丈夫な気がして嬉しかった事を憶えています。

 

人生で一度は彼の建築に出会いたいなあ。

でも見てしまった後の自分はどうなるんだろう、どんな時に見に行けばいいんだろう、

そんな風に大切に思っている存在です。

 

 

「好きな本」のお題目に適っておりますかどうかあやしい内容ですが、

わたしのものづくりに対するときめきが詰まった一冊です。

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緑のカーテン

この夏、扇風機が売り切れ続出とききましたが、もうひとつ、急速に広がったのが、緑のカーテンではないでしょうか。

昔ながらのヘチマや朝顔に加えて、最近人気はゴーヤのようです。

見事!グリーンカーテンになっているところも、健闘むなしく。。。と思われるところもありますが、こうして、いろいろな人たちが節電を機に緑に親しんでいる様子は楽しくもあり、軒先を眺めながら散歩をしています。

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 第4回のご紹介は「日本の色辞典」(吉岡幸雄 紫紅社)です。

日本の伝統色のうち209色を中心に、379色の色名解説と植物染料で絹布を染めた色見本や
関連する植物・風景・織物などの写真が掲載されています。
(色見本については、一部岩絵の具を和紙に塗ったものもあります。)

桜色、萌黄色、山吹色といった馴染のあるものから麴塵(きくじん)、空五倍子色(うつぶしいろ)
といった色名も色合いも本で初めて知るようなものまでたくさんの色が見られ、
もともと「色」、特に日本の伝統色が好きな私には持っているだけで楽しい、という本なのですが、
この本の素晴らしいところは何と言っても、日本の伝統色を再現した布の美しさ。
淡い色から濃い色まで、植物だけでこんなにも深く澄んだ色が、と驚かされ、
眺めていると色から力をいただけるようです。


色名も興味深いものです。

「自然の一瞬の姿、花のひとひらや風に揺れる枝葉の裏表に、木の実の色と形に、
人々は魅せられて、それらにゆかしい名をつけるようになっていった。」と前書きにありますが、
曙色、若菜色、朽葉色、団栗色といった色名を見ていると、万葉の昔から王朝の貴人、
武家、江戸の庶民と受け継がれてきた日本人の自然への想いに触れ、
つながるような気がします。

「卯の花色」というのもありますが、卯の花はウツギのことだそうで、
里山ユニットでお目にかかったっけ、と5×緑にご縁をいただいてから
新たに親しみを覚える色も増えてきました。


著者は江戸時代から続く京都の染屋の五代目当主で、
染師の方と共に植物染による日本の伝統色の再現に取り組んでおられるのですが、
長く美術工芸の出版に携わっていたこともあり、染めの体験談から歴史・文学まで
解説も充実しています。

「紅絹色(もみいろ)」の項では、昔の女性は肌に近い裏地などに紅絹(もみ)を
使っていたけれど、染料の紅花には血液の循環を良くする薬効も、とあり、
単に女性らしい色合いというだけでなく、冷えを防ぐために
着るものにも植物の力を上手に取り入れていた知恵に感心させられました。


眺めても読んでも楽しい、日本の色と植物に興味がある方におすすめの一冊です。
 

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今回ご紹介させていただく本は、ジル・バークレム作「のばらの村のものがたり」

という絵本シリーズで、春・夏・秋・冬に分かれて野ネズミの話しが描かれています。

 

私の原点とも言える本です。

 

この絵本の素晴らしいところは、ねずみが木の中に生活しているというユニークな

設定と、葉っぱ一枚、お皿一枚まで緻密に描かれた可愛らしいイラストです。

小さい頃は何度も読んでは、こんな木の中に住んでみたい!とか木の家で生活したい、とよく想像しながら絵を描いたりしていました。

 

野原や小川、絵本に出てくる舞台が大好きで、中学2年の夏、親にこんな所に行ってみたいとせがみ、イギリスのコッツウォルズ地方という美しい田園風景が残っている場所を訪れました。

 

周囲は青々とした牧草地に囲まれ、何百年も前から残っている古い家並み。一軒、一軒家の脇には花壇があり、様々な草花が植えられていました。蔓やバラが家の壁をつたい、家と緑がとけこんだ美しい風景を見て感動しました。緑と人との距離が近く、のばらの村の絵本の世界とつながったような気がしました。

 

その頃から少しずつ緑化や景観保全に興味を持ち始め、将来そのような仕事に携わりたいと思うようになりました。

 

小さい頃にこの絵本に出会い、のばらの村の世界に引き込まれたお陰で「緑」が好きになり、夢を思い描くようになったように思います。

 

都市環境では、大きい木が残っている場や、様々な生き物が生きているのだと体験する機会が少ないので、こういった絵本が「緑」を好きになるきっかけになるのかなと思っています。

 

周りで赤ちゃんが生まれたと言ったおめでたい話しをよく聞くようになりました

お母さん達に、お勧めしたい!と思いこの絵本を選びました

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バトンを引き継ぎ、第2回は、辰巳芳子さんの「あなたのために」(文化出版社)です。


この本の副題は「いのちを支えるスープ」。
そう、これは料理(スープ)の本です。

書店で表紙にひとめぼれ+辰巳さんの本+使えるかも!と即入手しました。
(読んでから「使えるかも!」は軽率だったと反省・・)

この本は嚥下困難に苦しまれたお父様のために作り続けたスープがベースになっているとのこと。
和・洋とスープが系統立てて整理され、スープを作る場合の心得に始まり、素材の選び方や切り方、取り扱い方、水のこと、火力のことなど調理上の注意から道具に至るまで、美しい写真とともに優しく、そして力強く紹介されています。食に対する哲学や1品1品に対する「想い」が感じられ、読んでいると背筋がピン!と伸びてくるような内容です。

スープを口にする方への心遣いはもちろん、食は生命の源、心のありようを学ぶような1冊です。


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「使えるかも!」と思ったのにはわけがありました。
そのころ、食物アレルギーのため、食べられないものが多い娘の食事作りで四苦八苦していて、
常に頭の中は保育園に持参するお弁当&おやつのこと。
本の中にあるスープの材料を見ると、娘が食べられるシンプルな素材が多く、作れる!と思ってしまったのです。実際には、吟味された素材を同じように用意することは難しく、まったく同じようには到底できないのですが、それでも手をかけて作ったスープは身体にすっと入ってくる優しいお味でした。

三度の食事+おやつ作りで1日中キッチンにいるかも?ということも多く、
何で食事を作るのにこんなに時間がかかってしまうのだろうとよく思っていました。
(もちろん手際の悪さもあるのですが)
「早い=いいこと=優秀」というような無意識の中の思い込みのようなものにしばられていたような気がします。この本に出会って、一つ一つ手作業していけばそれなりに時間がかかるもので、その間に色々な想いが重なったり、想いが込められていくには時間も必要では―と思うようになりました。
そして大変だけど、食べてくれる相手がいることは幸せなことなのではないかと。

今は、お金を出せばそれなりに美味しいものが手に入るし、「簡単・便利!」「混ぜるだけ」など、簡略・スピードが売り文句の商品もたくさんあって (その1のM田さんの中でも触れていますね)
忙しいときは、とても役立つし、助けられることもしばしばですが、これらが全く使えなくなって始めて、いかにこれまでの暮らしの中にあふれていたのかと気づきました。
あまりにこういったもの囲まれてしまうと"そもそも"が何であったか遠くなってしまう気がします。
知らなくても生きていくのに支障はないのかもしれません。
それでも娘には少しずつできることから伝えていきたいなぁと思っています。

と話がそれましたが、私にとってこの本は、楽な方に流されそうになってしまう時、料理をするということ、想いのこもった料理の力を改めて確認するためのもどるべき場所のひとつになっています。

 

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娘いわく「虹色の本」 

 

 

 


 

夏休み、と言えば読書感想文、というわけではないのですが、
この夏「私の好きな本」をテーマに、スタッフでブログをリレーします。

1回は西村佳哲さんの「自分の仕事をつくる」(晶文社/ちくま文庫)です。

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「まえがき」を読んで「やばい」と思った。

5×緑をはじめて7年。ものづくりのはしっこに身を置かせてもらって現場をのぞくうちに、胸の中にもやもやとたまるものがあった。漠としていた問題意識の核心をわしづかみにされて「ホラッ、これでしょ」って見せられたような新鮮なおどろきとスッキリ感。そして、心にしんとしみてくるメッセージが、その「まえがき」には詰まっていた。

私がここであれこれと解説するよりも「まえがき」を引用させていただいた方が早いと思う。

著者の西村さんは、「まえがき」をこんな風に始めている。

〈目の前の机も、その上のコップも、耳にとどく音楽も、ペンも紙も、すべて誰かがつくったものだ。街路樹のような自然物でさえ、人の仕事の結果としてそこに生えている。〉

けれども〈様々な仕事が『こんなもんでいいでしょ』という、人を軽くあつかったメッセージを体現している〉と西村さんはいう。その結果私たちの身の回りには、そうした仕事の結果としてできたモノであふれることになる。

〈たとえば安売り家具屋の店頭に並ぶ、カラーボックスのような本棚。化粧板の仕上げは側面まで、裏面はベニア貼りの彼らは、『裏は見えないからいいでしょ?』というメッセージを、語るともなく語っている。〉

でも

〈人間は『あなたは大切な存在で、生きている価値がある』というメッセージを、つねに探し求めている生き物だと思う。〉

だから

〈『こんなものでいい』と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。とくに幼児期に、こうした棘に囲まれて育つことは、人の成長にどんなダメージを与えるだろう。〉

ここまで読んで深く考えさせられた。私は「こんなもんでいいでしょ」という態度で自分の仕事に取り組んではいないか。そして、私たちの周りは・・・・・?

「自分の仕事をつくる」は、
西村さんが「これは!」と思う「いいモノをつくっている人」たちにインタビューして、その働き方をまとめた本である。

八木保さんや象設計集団や柳宗理さんなど優れた仕事をしている人たちの12のインタビューと西村さんのコラムが収録されている。

そこには新しい視点を開かせてくれるたくさんの言葉が詰まっていて、一時(いっとき)はお守りのようにいつもかばんに入れていた。

最近、「安い!」とか「早い!」とか「便利!」とかいうのはもういいんじゃないかと思うことがある。
もちろん、価格は商品にとって大事な要素だし、便利なグッズに囲まれて怠惰に生活する私が言うのも気がひけるが、「安い」とか「カンタン」とか「手間要らず」とか、そんなことばかり追い求めているうちに、大切なものがボロボロと指の間からこぼれ落ちていくようで、不安になる。

こんな流れを少しでも変えることができるのだろうか。
そんなことを感じていたときに、この本に出逢ったのだ。
そして「まえがき」の言葉に勇気をもらえた。

〈結果としての仕事に働き方の内実が含まれるのなら、『働き方』が変わることから、世界が変わる可能性もあるのではないか。〉

〈この世界は一人一人の小さな『仕事』の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所にではなく、じつは一人一人の手元にある。〉

あぁ、本当にそうだなと思う。
この世界がどうであるのかは、自分次第なのだと思い定めることから小さな変化がはじまるのにちがいない。

                   

今月、西村さんの素敵な本が出版されました。
「いま、地方で生きるということ」(ミシマ社)です。

実は、西村さんにランドスケープの仕事をテーマに本を書いていただけないかと画策しています。
実現するかどうかは私の説得力次第かも(?)です。
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今年も菜園ユニットで野菜が育っています。
顔ぶれは、プチトマト、ナス、キュウリ、シソ。近所のお店で「私が選ぶの!」と品定めをした娘のセレクトです。

植えた時はかわいらしかった苗もあっという間に生い茂りました。
キュウリの勢いに慌てて支柱を設置しました。

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"収穫は私の仕事"と娘は食べ頃になるとひとつずつ大事そうに採っています。
「このキュウリは朝採ったの?」とおかずのチェックも忘れません。 

キュウリは娘の好物ですが、シソはバッタの好物のようです。
今年は例年よりも小さなバッタが多いような気がします。

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キュウリのつる 美しさと秘められたパワーを感じました。
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夏の暑い盛り、ラジオからふと耳に入った "友情アイス" 

よくよく聞いていると、"友情アイス"とは、茨城県の味噌製造会社「ヤマイチ味噌」が、東日本大震災で被災した岩手県の醤油製造業「和泉屋本店」の醤油を使って作ったアイスクリーム「醤油あいす」のことだった。

津波で工場が流されてしまった和泉屋本店に残っていた醤油を使って、支援のためにヤマイチ味噌が手がけたという。両者の長男が同じ大学の研究室で交流があったそうで、「何とか励ましたい」との思いから生まれたアイス。

予約がいっぱいで製造が追いつかないというのに、こちらの都合でこの日に届けてほしいとお願いをしたところ、わざわざ電話をいただき丁寧に対応していただいた。

手元に届いた「醤油あいす」は、ほんのりと醤油の香りがする優しいアイスだった。 

 

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初夏に、那須の森を歩いていて野生のテイカカズラに出逢いました。

テイカカズラは、5×緑のほとんどの緑化ユニットの側面植栽に使われており、わたしたちにとってもっともなじみの深い植物です。

発芽して2年くらいの苗を植えることが多く、過酷な都市の緑化に送り出すのが心配になることもあります。

しかしながら、森で出逢った野生のテイカの生命力旺盛なこと!
天にまでのぼるかという勢いです。
ちょうど花の季節で、満開の花を付けていたことも迫力を増す要因であったかもしれません。

これが本来のこの植物の生命力であるか、と感嘆しました。

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太い幹と満開の花
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テイカカズラの名前の由来は歌人の藤原定家に由来すると聞きます。

というと風雅なのですが、式子内親王への想いが募って、内親王のお墓にツタとなってまとわりついた、という逸話に基づくようですから、テイカカズラはやはり、とても強い植物なのでしょう。
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連日の猛暑日~~。
油断していたらどんなに健康に自信のある人だって熱中症になりかねない。
ましてや我々販売チームのようなやわな(?)女子たちは1時間も炎天下に身を置けばその後しばらくはやれ、「水だ」「アイス」だと、しばらくは仕事に戻れないのが常。

しかし、冷房のない屋外での作業が慣れっこのヤザワナーサリーの女子たちは、いつ行っても笑顔さわやか~~で、どうしたらあんな感じでいられるのだろうと不思議だったりする。

とある猛暑日の午後。たまたま納品間近なユニットのチェックにお邪魔することになった。
そこで対面したのが、シルバー色のクールベストを羽織ったガールズたち。
このベスト、何でも遮光率80%だそうで、背中が暑くなるのを防ぐらしく、今年の新商品なのだそう。
アルミコーティングをしたポリエステルと綿のメッシュ素材のようで、触るとひんやり心地よいらしく、実際に着てみても、何となく涼しい感じなのらしい。

なるほどなあ。

涼しげに見える人には気構え、体力、そして、なんとかしたいというたゆまぬ情報収集力が必要なようデス。

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 着方によってはタウン着にもなりそうなクールな感じのベストです。

梅雨明けから毎日暑い!
炎天下の工事現場。特に造園工事は夏の日差しから逃れようがない。
そんななか、仕事を続ける作業員の方には頭が下がる。
大変な仕事だといつも思う。

東京は調布の現場で富士植木さんとご一緒している。
そこにいつの間にかできた作業休憩所。

さすがは植物のプロである。ちゃっちゃっと緑のカーテンをつくり、よしずをめぐらせ、
手作りとおぼしき木のテーブルにいすまで。
いかにも涼しげで、居心地のよさそうな憩いのスペース。

思わず写真に撮っちゃいました。
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あそこに見える白板は。。。
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お仕事の打ち合わせメモかと思いきや、BBQパーティの計画?
「肉 テキトー」って!?
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南の島の布

阿佐ヶ谷のカフェ「ひねもすのたり」で、奄美や石垣など南の島を中心に集めた布の企画展「つなげる布 つながる想い」が開かれています。

http://ひねもすのたり.com/
※〜7/13

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南の島の代表的な織物である芭蕉や苧麻、絹など自然の素材の布が美しく飾られています。

この展示会を企画した田町まさよさんは、奄美に移り住み、島の魅力を多くの人に伝えるお仕事をされています。

「植物からとる芭蕉も苧麻も、蚕から糸を紡ぐ絹も、どれも気の遠くなるような作業の果てにできた布です。昔はどの家もみんな手間をかけて家族の衣服を紡ぎ、織り、縫っていました。その手間のひとつひとに家族の無事を祈る想いを込め、そしてその布を纏う人は、つくり手の想いに守られて仕事へとでかけていったのです」

「私たちは便利なものを求めすぎていたように思います。特に震災や原発の事故の後、そうした思いが強くなりました。そして、こんな風に手間暇かけて丁寧につくられたものの大切さを伝えたいと思ったのです」
と田町さんは言います。

飾られている布たちはどれも、植物を刈りとり、糸にし、染め、織り、ひとつひとつの手順を丁寧にたどりながらつくられています。
美しさの中にある、手仕事の確かさと温もりに心動かされます。
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亀田恭子さんの絹のストール
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滝沢都さんの芭蕉布のタペストリー
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入り口には笹飾りが飾られて
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ここ数日、K西さんはシロダモを食べている"あおむし"をマークしていたらしい。 

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彼らは夏バテ知らず食欲旺盛で、まんまると太った体?は愛らしいくらいである。

このあおむしは何だろうと調べてみると、彼らは「アオスジアゲハ」の幼虫のようで、
食草はクスノキ科の植物の葉。シロダモはクスノキ科なので好物なのだろう。
これから黒地に鮮やかな青緑色のラインが美しい翅を持つ蝶になる、ハズ。

オフィス近くにクスノキの街路樹があるのも関係していたのか、
これまでも夏の暑い時期、リズミカルに飛び回る姿に目を楽しませてもらっていた。

今年はここから羽ばたいていく日が楽しみである。

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左が中齢、右が終齢でさなぎになる日も間近。


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"緑色のカバ"に見えてしまうのは私だけでしょうか・・・。

 

 前々回のY内さんの誕生日つながり(?)で、5×緑のボスことM田さんの誕生日ブログに一度登場しましたK西です。

この度ブログに参加させて戴くことになりました。

 

梅雨空のもと、オオタカ保護基金のトラスト地を訪れました。

朝早く、東京駅でフレッシュ新人Y内さんと新幹線に乗って那須塩原へ。

 

塩原の駅では素敵な長靴を履いたM田さん・車で矢澤さんと合流し、オオタカ保護基金の方達が待つ道の駅へ向かいました。

道の駅で集合後、車で15分ほど里の中を通り過ぎ、トラスト地へ到着。周囲の国有林内には、オオタカの格好の営巣場所となるアカマツ林があり、山の中でこんな立派なアカマツ林にお目にかかれるとは・・・と感嘆。

 

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途中では白い花を咲かせたハクウンボクやコゴメウツギ、林床に生えたギンリョウソウを見ることが出来ました。(写真は下に掲載)

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オオタカ保護基金のスタッフの方からは「このツツピーツツピー鳴いているのがヤマガラで・・・」と説明を聞き、耳をそばだてて鳴き声の方向へ双眼鏡を向けたり、当たり前とはいえ「耳」を使うことが新鮮でした。(職業柄、植物の方へ注意がいってしまいます。)

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この林でオオタカに会う事は叶いませんでしたが、ノスリという鷹が空高く飛んでいる姿を見る事ができました。

 

次の週に自然観察会で山の中を歩いた時、植物だけでなく鳥の鳴き声にまで注意が向くようになり、今回の体験は非常にありがたいものだったと実感しています。

 

青もみじ

色づく前のもみじを「青もみじ」と言います。

「もみじ」」といえば秋の紅葉を思いますが、青々としたもみじの葉もまた涼しげで味わい深いものがあります。

6月は別名「風待月」。
蒸し暑いなか、風に一服の涼を求める気持ちの表れでしょうか。

先日、那須で出逢った「青もみじ」の一枝を、一服の涼にかえてお届けします。
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恵比寿日和デビュー

みなさま、はじめまして!

今月から5×緑に仲間入りさせていただきました新人Yです!!

ついに5×緑ブログ恵比寿日和にも参加させていただくことになり、

キーボードを叩きながらぶるぶる震えている次第です。

どうぞよろしくお願いいたします!!

 

恵比寿日和ファンの皆様はお気づきかと思いますが、

このブログでは演者によってそれぞれのお印をいただいているとのことで、

わたくしのブログ末尾のお印は"香"をいただきました。

個人的にゆかりのある一文字ではありますが、

においは季節や記憶とともに、わたしたちの日常のすぐそばにある

風景の一つだと思います。

緑の草花のにおい、夏の花火のにおい、旬の食べ物の焼かれるにおい、

実家の扉を開けた時のにおい、自分のお気に入りのせっけんのにおい。

香りはかたちにはみえないものですが、些細な日常の中でも

心に迫る美しさを感じられるような、そんな雰囲気を感じさせてくれるこの"香"という字が

わたしはとても大好きです。

  

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2.jpg写真は、初っ端からわたくしがお誕生日を祝っていただいた時の写真です!!

お誕生日と5×緑デビューが重なり、喜びであふれる6月になりました。

華やかなケーキと素敵な薔薇の花束でお祝いしていただきました。

ありがとうございました。

 

というわけで、これから悲喜交々お伝えしてゆこうと思いますので

どうぞよろしくお願いいたします。

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新聞紙でできた封筒

古新聞でできた封筒をみつけました。

「『昔は何でも新聞紙でつつんでいたのよ』母の言葉を思いながら、封筒を作りました」と書いてありました。
そうですよね。昔は八百屋さんでも魚屋さんでも新聞紙が包装紙替わりでした。

芋版でつくった模様がプリントされています。

「もったいない」もこんな風にすると可愛いですね。

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宛名書きも差し出し人欄もちゃんとあります。
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封筒は福祉施設で作られているそうです。

よく思うのですが、ひとつの社会的な課題に応えようとするものは、他の課題にもちゃんと向き合っていることが多いように思います。

環境について配慮された商品やサービスや活動が、同時に福祉や教育や地域活性化につながっているなんていうことはよくあります。

この小さな封筒も、そんな広がりを持つ良い例だと思いました。
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ベリーであそぼ!

先日お伺いしたのお宅でのこと。

近所の子どもたちがベリーの実をバケツに集めて遊んでいました。

東京近郊の緑道沿いのお宅には、緑があふれて、子どもたちの笑い声が響いています。

水路の開渠になったところには、ザリガニなんかもいて、子どもたちはザリガニ捕りしてあそぶとか。
女の子が草相撲して一番になった草を自慢げにお母さんに見せに来ました。

家の前を行き交う人と笑顔で挨拶がかわされます。

東京にもこんな風景がのこっているのか、と心が和んだひとときでした。
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5×緑では、側面の植栽にテイカカズラを多く使いますが、この季節になるとツルが伸び
て若葉が萌え、花芽もつきます。
テイカズラの花芽を見ると、なぜだかいつもほっとします。

今年はいつもより新芽がでるのが遅いようです。
心待ちにしたテイカカズラの花。開いてくれるのが楽しみなような、少し惜しいような。。。
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テイカカズラの花芽。一雨ごとにふくらんで。
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側面にテイカズラを植えた緑の階段も新緑に。
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新緑を一枝もらって部屋に飾りました。
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4月16日にNHKで放映されたマイケル・サンデル教授の「大震災特別講義」を見ました。

その中で、被災者の我慢強さや礼儀正しさ、共同体に貢献する姿が、日本人の美徳として取り上げられていました。
被災地における自制心のある行動は、震災直後から海外のメディアで大きく取り上げられ、賞賛されたと聞いています。

でも、それは、災害に遭ったのが東北の農村や漁村だったからではないか、とふと思います。

東京で同じことが起きたら、同じような行動がとれるでしょうか?

もう、10年以上前になりますが、仕事で岩手県の遠野に通ったことがあります。
そして、遠野に住む人、とりわけお年寄りに強く心惹かれました。

お会いしたお年寄りたちは、みんな礼儀正しくて、ユーモアがあって、一度知り合いになると、遠くで私をみかけただけで、帽子をとり実に丁寧にお辞儀をしてくださいました。

昔ながらの生活の知恵や暮らしの技術をたくさん持っていて、そのお話はどれも飛び抜けて面白く、心を打つものであったのを覚えています。

この震災でボランティアに参加した知人が、避難所では、被災者の方が自分で山の沢から水を引き、がれきの中からひろってきた道具でお風呂を造り、薪で火をおこし、そのたくましさに驚いた、と語っていました。

遠野の人々のことを思えば、さもありなん、自分で生きる力のある人たちなのだと思います。

そうそう、遠野の電気屋さんで買い物をしたときのこと。お願いした商品がなかなか見つからず、座って待っていたら、突然バナナを差し出されました。
???
きっと待たせたままなのは悪い、と思ってくれたのでしょうね。

遠野から戻る度にお伽の国に行っていたような気持ちになったものでした。

さて、冒頭のサンデル教授の「特別講義」は、共同体の意識が国境を越えて、グローバルに広がる可能性に触れて終わりました。

東北の小さな町や村に色濃く残る共同体の意識とその意識のグローバルな拡大。
いすれにしても共同体はこれからの社会を考える上で大切なキーワードになりそうです。
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平明にして余韻

声上げて泣きたし サクラまだ咲くな

月曜日の朝、新聞の歌壇俳壇ページを切り取って、電車の中で読むのが長年続いている楽しみのひとつ。
だが、このところこの楽しみの時間が悲しみの時間に変わってきた。
というのも、この数週間、このページで読まれている内容のほぼ9割が今回の震災に対する深い悲しみを詠んでいて、どれもこれも深く胸に迫ってきて、やりきれなくなってくるからである。

わが俳句の師は、俳句でこうした事象を読むのは難しい、そしていい句ができにくいとおっしゃる。
確かに、短歌と俳句を詠み比べるとよくわかるのだが、短歌は悲しみに寄り添うに十分な長さがあるが、それに比べて、俳句という器は、具体的な気持ちを詠むには短すぎ、それでも詠もうとするとなんとも意図的なものを感じさせて、余韻が残らないような気がする。
それでも・・・どうしても...この思いを詠みたくなるのが、俳句愛好者という人たちである。

冒頭の句は、そういう句である。
電車の中で、新聞を読んでいて、ふとしたタイミングで涙腺がプッツリ切れてしまい、涙が止まらなくなった。
これはみっともないと思って、途中の駅で降りて、駅前の桜の下のベンチに座って涙を乾かしながらつくった句である、いやつくったのではなく、できてしまったというべきだろう。

先日の句会で、この句を出してみることにした。
11人がそれぞれ8句ずつ自作を持ち寄り、全88句の中から、その場で8句(そのうち1句は特選)を選ぶ。
つまり88句に対して88の選ばれるチャンスを持っていることになる訳だ。
まんべんなく選ばれそうに見えて、いいと思う句はかなり共通する。
高得点もあれば、全く点が入らないものも出てくる。
この日、この句には、1人だけ点を入れてくれた人がいたが、まあ、結果的には評価の低い句となった。
それでも、一人でも選んでくれた人がいたことは、この日は、無性にうれしかった。

その時の師の講評は、 
「ここまで言い切ってはどうかと思う。俳句の良さは平明にして
余韻があること。この句はそれを感じさせない」

確かに......。
ここまで言い切ると、読み手に預けるものが何もなく、自分だけの独りよがりな句になってしまう。
それでも詠まずにはいられない時にできた句は、本来であれば人に見せるべきではないのだろう。
ただ、困ったことに、やっぱり誰かに共感してほしくて、うかうか句会などに出してしまうのである。


目を開けてゐるのだらうか 春の闇          結女

 


4月の句会の様子は、以下で覗けます。
http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/day-20110424.html

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電気をつくっている原子力発電所に電力がなくて事故が起きたとか、
放射性物質を浴びた野菜は「洗って食べれば大丈夫」って、TVで説明されたけど、その水が汚染されていたとか、
笑えない冗談が続く。

ある新聞によると、宮城県の岬のふもとの小さな村に先人が建てた石碑があって、そこには悲惨な津波の経験から「此処より下に家を建てるな」と書かれていたという。
以後、村人はその言い伝えを守り、この度の被災を免れたとあったが、そうしてみると科学技術の粋を集めた想定とその予防策よりも、昔の人の教えが勝(まさ)っていた、ということだろうか。

この震災のさなか、自民党のある議員が「必要なだけ電気のない国なんて先進国とは言えない」と言い切っていて、瞬間、違和感を覚えた。
落ち着いて考えてみると、北朝鮮では停電が頻繁に起きるといった類の報道に接したときに露わになる「我が国では電気はあって当たり前」的感覚を思い出してみれば、この発言も自分自身の中にあるこんな感覚の延長上にある発言だなと思うし、生産業を安定して続けていくためにも電力の十分な供給体制があることは不可欠だろう。

それでも、私が瞬間的に感じた違和感は、「好きな時に好きなだけ、みんなが使いたい放題に電気を使う暮らし方はもういいよね」という気分があったからだと思う。
街頭インタビューで色々な人たちが停電営業の店や駅について「今まで明るすぎたよね」と答えているのを聞くと、多くの人が同じような気分を共有しているのではないか、と思う。

私たちは、これから、もっと賢いエネルギーの作り方や使い方ができるようになるだろうか。

エネルギーの供給を巨大なシステムに頼らなくても、小規模で分散型のシステムが可能なのではないか。
各家庭の太陽光発電をはじめ、スタンドアローンなエネルギー供給のネットワークとか、ローカルなエリアでの代替エネルギーの供給とか。

エネルギーも地産地消ということだ。

私たちの緑化は、地域性種苗になるべくこだわった在来種での緑化を進めている。
(完全ではないけれど)

その向こうには、実は、日本の昔ながらの暮らし方や生活の知恵や文化をなくさず、取り戻したいという思いがあって、それを「在来生活」などと言ってみたりしている。

震災のなかで、エネルギーの問題もまた、地域性を取り戻したい私たちの課題に無縁ではないことを思った。
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電車の中で緊急地震速報の着信音が一斉に鳴り響くのもシュールだけれど、人気(ひとけ)のない商業施設でからくり時計のマーチが鳴り響く光景も、それはそれでシュールだ、と思いながら月曜から出勤した。

テレビは24時間地震の報道を流し続けている。
テレビにツイッターにネット。
いつの間にか中毒になってしまっている。

こんな風に情報にさらされている内に自分の身体も心もひどく痛めつけられてしまう。

梨木香歩さんの「裏庭」を読んでいた。

この物語の中には、三つの「傷」のお話が出てくる。

一つ目は「傷」を恐れて互いに触れあうことのできなくなった国の話。

二つ目は「傷」を癒すことに夢中になってしまって、「傷」と向き合うことができなくなってしまった国の話。

三つ目は国中の人が溶け合って、とうとうひとつのかたまりになってしまい、それぞれを区別するのはそれぞれが持つ「傷」だけになってしまった国の話。

主人公の女の子は、「傷を恐れてはいけないこと」「傷に支配されてはいけないこと」「傷こそが自分をつくること」を3つの国を旅することで学んでいく。

この震災で、私たちは何を学ぶのだろう。

物語の中では「あらわになった傷は、その人間の関心を独り占めする。傷が、その人間を支配してしまうのだ。本当に、癒そうと思うなら、決して傷に自分自身を支配させてはならぬ」と語られる。


四国で一人暮らしをしている齢八十の母は、「電気があったり、水があったりして不自由なく生活することが申し訳無い」と言って、エアコンはつけず足下のヒーターだけで頑張っている。
四国電力圏内にいる彼女がこうして節電にいそしんでも、あんまり意味は無いんじゃないのと思いつつ、「風邪引かないでね」と言っておいた。
その一方で、ちょっとばかり後ろめたそうに「乾パンとおかゆを買った」とか。
「四国にいるのになぜ!?」とやっぱりツッコミたくなるが、友人によると松山でも懐中電灯が売れ切れているらしい。
危機に瀕しての人の心情とはこうしたものであるらしい。

この震災で私たちの暮らし方、ううん、生き方は変わるのだろうか?
「傷」に支配されることなく、正しく変わっていけるのだろうか。

電車も通信もスローダウン。
このままスローでもいいのかもしれない。
資本主義はそんなに速くなくていい。

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祈り

星空を仰ぐと、幾千もの無念と幾万もの悲しみが降ってくるようで、息が詰まりそうになります。


その傍ら、道すがらの人々や日常を共にする人々の眼差しがいつもより少し優しいのに気づきます。

共に大きな悲劇の中にあることへの暗黙の了解、それは互いに手を携えてこの危機を乗り越えていこう、という静かな決意の表明であるのかもしれません。


春の花がつぼみを膨らませ始めました。

その確かさ、揺るぎなさに、希望の文字が重なります。


願わくは、空を覆うような悲しみにもまして、希望の光が地にあふれますように。

みずそら色の春

 

しゅんじつ            いしずちさん
春日の 海のぶつかる石鎚山

冷蔵庫の中にいるような寒の戻りだった。
暖かさに慣れ始めてきた身体にこの寒さはしみじみ堪える。
もうそろそろしまおうかと思っていた重たいコートを取り出して、これで最後であってほしいと思いながら袖を通す。
春を切実に待ちわびるのは、決まってこの時分。
山茱萸が咲き、あともうひと息でマンサクが咲きだしそうな・・・そして春分まであと一週間ほどというころである。
瀬戸内海に面した温暖な街で育った身にとって、春の色はみず色とも空色ともつかない淡い"みずそら色"のグラデーション。
淡い海のみず色は空に移り、空色となる。それはそのまま峻険な四国山地の山並みに溶け込んでやや深みを帯びていく。
この、海から空へ、山へとつながる景色のなかにいると、果てない宇宙の色は紺色でも、青色でもなく、みず色と空色が混じった"みずそら色"に思えてくる。
そんなことを感じるのも、瀬戸内海があまりにも穏やかにきらきらゆらめいているからだろう。
あともう少しで春本番。
そんな頃の瀬戸内の街は、人々の顔つきまでも穏やかな記憶の中にある。

春のバス  伊予柑色に染まり来し

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伊予鉄バスはこんな、
色だったかと・・・。

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2月の句会の様子は、以下で覗けます。
http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/day-20110227.html

 

 

春一番

東京に春一番が吹いた。

まだ2月というのに気温は20度。
暖かくて強い南の風が東京を吹き抜けたかと思うと、今日は一転、霙交じりの雨である。

齢八十を越す母は、八十年生きてきて、こんな風なおかしな天気は「絶対になかった」と言い張るのだが。。。

三寒四温。
寒くなったり、暖かくなったりしながら、少しずつ春は近づいてくるのだろう。
それにしても、今年はちょっと変化が激しすぎる気がするけれど。

「春一番」という言葉には、どこか心が沸き立つ響きがある。

春になると、草木が一斉に開いてくるが、心もそれに合わせて開いていくような心持ちがする。
実は、心だけでなく、人の身体も開くものであるらしい。
冬の間、縮こまっていた身体が次第に緩んでくるという。
梅の咲く頃に頭骨が開き、桃の咲く頃には胸が開き、桜の咲く頃、骨盤が開く、と教えられたことがある。

してみると、日本人の身体の中にも季節の変化があるということか。
草木に限らず、人の心も身体も四季と深く結びついている。
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予感的中

何だかんだといって、もう立春。

心なしか、月も星もうるんできたように見えてくる。

いや、もしかしたら、季節のせいではなく、私の視力がますますあいまいになってきたせいなのかもしれない。

 

犯人は次世代携帯こと、「スマートフォン」。

今、使わないと一生使えなくなる(そんな大げさなものではないらしい)と、意を決して、自分への誕生日プレゼントに購入した(もちろん自分で)。

ギャラクシーという、韓国はサムソン製。

「これが一番ビジネスにもつかえて、どこでもつながる」という、家人の言葉に踊らされて、いそいそ、渋谷のDOCOMOショップに買いに行った...。

お店の人から操作説明を聞いているうちにいやな予感がした。

「本当に使いこなせるのでしょうか??」と私。

「最初はみんなそういうんですよ。あっという間に駆使できますよ!」とお店の人。

そうかな~。私人一倍理解力に欠けるんだけどなあ。まあでも、子供でも使っているんだし。

 

予感は的中した。

まず、タッチの反応が早すぎる。

そんなはずじゃないのにという画面がいつも現れてしまう。私の指のタッチにあわせてゆっくり反応してくれればいいのに、何か無駄に早いのだ。

そのうえ携帯の電話帳が使いにくい。

これまでならワンタッチですんでいたのに、23タッチでないと、必要な人に行きつかない。

私は片手で操作したいのにこうなると、両手が必要になるでないか。

 

最大の不幸は新幹線のEX予約ができないこと!!これはもはや致命的。

仕方がないので、携帯電話を持ち歩き、予約を取る段になって、スマートフォンからFOMAカードを抜き出し、携帯電話に差し替えで、終わったらまた戻すことにした。

「なんてこと?」「こんな不便なことみんなやってるの??」

JR東海に問い合わせても、目下スマートフォン対応はできていないという。

一体誰に訴えればいいのダロウ、こんなことってアリ?。

よく、みんな怒らないもんだわ。

まあ、しかし、分別ある大人がこんなことでひるんでいては、次世代についていけなくなる。

きっとウラ情報もあるに違いない。私が知らないだけかもしれない。そのうちだれかが教えてくれるに違いない。

それまでの間、このひとを嫌いにならないようにと、目が潤むほど一緒に過ごす時間をふやしている。

 

あ~、でもなれたころに、きっとアナログ人種向けの次世代携帯がでてくるんだろうなあ。

ココロの中は、もう一度普通の携帯電話に戻ろうかどうか、揺れている。

 

 

月凍る 万年筆の硬き夜は                結女

 

 

 

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木の器

友人に誘われて、漆器をつくる仁城義勝さんの展示会に行きました。

丁度、仁城さんが在廊されており、藍染めの上っ張りにお髭姿のご本人が部屋の隅に座っていらっしゃいます。

漆器というとデリケートなイメージがあります。作家ご本人が見ているし、恐る恐る器を手に取ろうとして、危うく取り落としそうになりました。
慌てて「ごめんなさい」と謝ると、仁城さんは「なんの、なんの。そんなことくらいではびくともしません。怖々触らないで、どんどん触ってごらんなさい」とおっしゃる。

「でも指紋がつくでしょう」と申し上げると、仁城さんは笑って、そばの器をがっしとつかみ、指の跡に「はぁーっ」と息をふきかけ、袖口でふいて「ほれ、このとおり」。
「心配せんで、よう手に取って、掌になじむのを選ぶといいです」。

安心して次から次へと器を触りまくる(?)わたしたちのそばで、仁城さんが、器づくりについて語ってくださいました。

そのお話が、植木や庭づくりの仕事にも深く通じている気がして、ここにご紹介させて頂きます。

「僕は器は控えめにつくります。用を足すのに邪魔にならんよう、飽きないよう」
「何しろ、飽きは大敵です。漆の器というのは一生使って次の代に伝えるもの。流行や好みが強いと飽きがくるし、なにより次の代の人が使いにくい」
「昔は直し屋さんというのがいて、傷んだ漆を塗り直しながら、何代にもわたって大切に漆器を受け継いでいったものです。そもそも、日本人の物の使い方は、そういうもんだったと僕は思うんです」

「こんなお盆でも、五十年、百年生きた木からしかつくれんのです」
その言葉を聞いた瞬間、栃木の馬頭の森の風景と、その山を守る佐藤さんたちや先日お目にかかったオオタカ保護基金の遠藤さんたちの顔がぱあーっと頭に浮かびました。
五十年、百年生きた木を使うなら、五十年、百年、その器を使い続けるのも道理です。

仁城さんは下地を塗らず、直接木地に漆を塗ります。
器の肌にはムラができます。それは、漆が乾く速度が違うからだそうです。
それを均一にするための「設備」もあるそうですが、仁城さんは「なんの」と、ムラができるにまかせているようです。
節目があっても「これも木だ」と思えば、そのまま使うと言います。
そうしてみると、仁城さんの漆の器は柔らかく、どこか温かみや親しさを感じます。

年若い男性が恐る恐る仁城さんに声をかけました。
さる漆器の産地で職人をしている、といいます。
仁城さんは「産地で生き残れているのは、輪島や越前やほんの少ししかないのに、ようがんばってるね」と嬉しそうです。
若者は緊張気味に「でも、仁城さんのような器づくりは産地ではできない」と言います。
「日本の漆を使わないところもたくさんあるし、化学薬品を使って漆を塗っているところもあります。」
仁城さんは「自分がいいと思う方法で器をつくればいいじやないか」とおっしゃいましたが、若者は「そんなことをしたら、変わったヤツだ、はみ出し者だといわれてしまいます」
「それはようわかる。ようわかるから、自分でできる少しの分だけ、正しいと思うやり方で器をつくって、こうして直接買っていただけるようになればいい。正しい方法でつくったものを待っている人はたくさんいるんだよ。ほら、みてごらん」とお話しされていました。

そして、私は栃の木の小さなお盆とお椀をひとついただいて帰りました。
毎日のお味噌汁を飲むのが楽しみになる、そんな器だと思います。
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朝起きるとテーブルの上に置いたままの器の上に、春隣の日差しが。
何の変哲もないのに「あぁ美しい」と思いました。
その美しさを拙い写真で伝えられるべくもありませんが。。。


 
「木の器」展

http://www.eweinmayr.com/ja/location/tokyo/index.htm





暦通りの

昨日は立春-----------。

今年は寒の入りと同時に厳しい寒さが続きましたが、立春の昨日は、寒さもゆるみ、日差しの中に春の訪れを感じさせるものがありました。

そうした意味では、この冬は暦通りに季節が進んでいるような気もします。

昨日は、オフィスの電話が鳴りっぱなしで慌ただしく、スタッフのH畑さんが「立春ですから、何かが動き始めているのでしょうかね」と言うのを聞いて、「そうか、日本人の中には、こんな季節感覚があるのか」としばし感慨にふけりました。

立春は、節目の季節でもあるのですね。

むめ(梅)一輪 一輪ほどの暖かさ  嵐雪

探梅行とまではいかないものの、「梅一輪」と期待して公園に出かけましたが、洗足池公園の梅の花芽はまだ堅いままでした。
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「梅一輪」と言うよりも「枝枝は空うばいあい」というかんじでしようか。
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うさぎ、うさぎ

今年は卯年。

「跳躍」とか「飛躍」とか書かれた賀状も多かったのでは。。。

うちは、昨年の5×緑ニュースでもお知らせしたRARI YOSHINOさんのうさぎの絵を飾って年迎えした。
https://www.5baimidori.com/news/201012-raridrawing-project.html

うさぎといえば、
可愛い ふわふわ 跳ねる よく聞く耳 多産 速度(うさぎとかめのお伽話にしたがえば)

でもRARIさんのうさぎはどこか思索的だ。

絵は、5×緑の仕事になぞらえて選んだ。
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一草をみつめる うさぎ
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若木を守る うさぎ
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そして、いろんな種類の野の花や虫
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玄関には、「草原のうさぎ」を飾って新年を迎えました。
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