恵比寿日和
どんぐり道の思い出
家から小学校までおよそ2キロくらいあっただろうか。
毎日同じ道を歩いて帰るのはつまらないので、本通りをはずして、いろいろな道を歩いて帰った。
わずかな距離でも、道が違えは、風景も違う。
ことに一人で帰るときの寄り道は、小さな冒険をしているような気分で楽しかった記憶がある。
今考えれば危なっかしいことだけど、そんなことが許されていたいい時代だったのだろう。
知らない道とはいえ、自分のテリトリーだったので、怖いと思うことはなかったが、ごくたまに道に迷って、どうしても帰り道にたどりつけなくなることがあった。
「あれ~~、あれ~~」と思っているうちに、どんどん違う方に行ってしまっていて、全く知らないひと気のない風景が広がってくる。
そのうちだんだん日も暮れて、途方に暮れて泣きたくなってしまう。
「どうしよう、どうしよう......」と思いながら、どんどん走っていると、いつのまにか、どこかで見たことのあるような風景になって、結果的には、なんとか家にたどりつけていた。
そんな迷い道は自分だけの秘密ではなく、なぜかみんなも 「どんぐり道」 と呼んでいた。
半ベソかいて家にたどりつくと、
「あら、またどんぐり道に行ってたの?」 と姉にはよくからかわれたものだった。
その時のこころもとない気持ちと、ほっとした気持ちは、大人になった今も昨日のことのように思い出される。
あの頃、とんでもなく家から遠かったように感じた 「どんぐり道」 は距離にするとほんのわずかな寄り道だったに違いない。
それにしてもなぜ、「どんぐり」だったのだろう。
「どんぐり」という言葉は、語感のかわいらしさと滋養タップリの食べ物のイメージがないまぜになって、童話の世界でみた動物たちのあたたかな冬眠室を連想してしまう。
それが「どんぐり道」となってくると、なんだかそのまま冬眠に導かれていくような、どこか不思議で、もう戻れなくなるような異次元のイメージを子供ながらに感じていたように思う。
今、どんぐりが降りおちている晩秋......。
このころになると、もう家に帰れなくなるのではないかと、必死で家路を探して歩いた子供のころが無性になつかしくなってくる。
ポケットはどんぐりだらけのアリスかな
結
晩秋の遠野で出会ったどんぐり道
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