活動レポート&里山便り

里山活動レポート: 畑

滋賀県高島町の畑地区は私たちの関西でのアゼターフの生産の拠点ですが、
この5月で約4年間続いた活動を中止することになりました。


理由は、地主の澤井さんがご高齢となり、息子さんに代替わりする日が近くなってきたこと、
それと畑の管理をお願いしていた棚田保存会の会長の宮脇さんも76歳とご高齢になり、
これ以上のご負担をおかけするのも、忍びなくなってきたことがあげられます。


この4年間には植生調査はもちろん、一緒に草ひきを行い、その都度、生育状況を確認し、
これからようやく本格的な生産体制に入れると思っていただけにとても残念。
とはいえ、私たちも遠隔地でなかなか頻繁にうかがうこともままならず、中止の判断も
やむをえないものとなりました。


5月の連休明け、最後のご挨拶と畑の状況を確認するため、現地に向かいました。
この時期は、ちょうど田植えが終わったばかりで、あたりはまさに水鏡。
澄み渡った空に薫風が吹きぬけ、それは気持ちのよい里山の風景が広がってきます。


76歳とは思えぬ宮脇さんの達者な運転で、現地に到着。まず、何はさておき、棚田へと向かいました。
私たちが伺うのは、昨年の夏以来約一年ぶり。畑に入って驚いたのは、一気に
帰化植物が増えていたことでした。
原因は、周辺からの侵入が防げなかったことによると思われますが、なかなか草刈が
追い付かず、この春に一気に芽吹いたものと考えらえます。ただし、それでも畑の一部、
加えて棚田の土手にはまだまだ在来種の植生が残っていることを確認できました。
やはりよほどの知識と意識を持ち、守っていく環境を整えない限り、なかなか在来種を
守っていくことは、難しいことを痛感しました。
この貴重な経験は、馬頭での植生調査結果と合わせて、我々チームの貴重なデータに
なるはずです。


気を取り直して、畑を後に、澤井さん宅に。
いつも笑顔のお母さんに招き入れられて、春炬燵ならぬ初夏炬燵に入って、しばしお茶話。
高齢化と過疎化の進行は深刻ですが、それでも、里の暮らしを都会の人たちに味わって
もらうため農家民泊制度もスタートし、お母さんはその準備に追われていました。
「せっかくのご縁を無くするのはとてもさびしい。これからも来てくださいね」。
いつものことながら、帰り際には、両手に手づくりのカキ餅や蕗、筍の佃煮など里のごちそうを
ぶら下げていました。


私たちが畑を尋ねたのは、計5回。全くの飛び込みでスタートした畑での活動でしたが、
棚田という特殊な環境での4年間の植生調査は、これからの関西での活動に伝えていく
貴重な内容です。
いつも山で歩き回ると元気になるという宮脇さん、畑の様子をいつも細かく報告しれくれた松本さん......。
在来植物はもちろん、そこで出会う在来生活、在来びととのつながりも、5×緑が伝えていく
使命の一つだと痛感しました。


http://www.shoei-web.co.jp/news/20100207.htm

 

 

 

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田植えが終わったばかりの棚田
多くのアマチュアカメラマンがやってくるのも納得の風景

 

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畑の具合をチェックする宮脇さん

 

 

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土手部分はアゼターフの採取に適する植生が確認できる

 

 

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畑の中には在来種に混じってヒメジオンなどの外来植物がかなり増えていた

 

5月10日

半年ぶりの畑。

地元の宮脇さんや松本さんが手入れをしてくださった棚田も新緑の季節です。

 

 

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昼過ぎに現場に入り、帰化植物のヒメジオンとオランダミミナグサを除去。

アゼターフの採取候補の田は4枚。なかにはすっかり帰化植物に覆われてしまった田んぼもありました。

アゼターフを1枚だけ実験的に採取しました。

地主のご夫妻にも見ていただきました。

 

20081112日 畑の松本さんより棚田の様子が写真で届きました。

 

  

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朝晩ストーブが欠かせない季節になってまいりました。

 

 

  

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NO.8 谷側あぜ 薄紫色に花(野菊?)がたくさん咲いています。

 

 

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NO.8 拡大

 

 

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NO.8全景 生えるにまかせて草ボーボーです。

土手にはリンドウ・アザミなど多数見られました。

10月3日、畑の松本さんより棚田の植生の様子が写真で届きました。

 

 


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No.8 谷川の畦                No.8 拡大60cm四方

 

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No.8 全景

 

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No.9                      No.9 拡大30cm四方 ススキが多く種類が少なく感じます。

 

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No.8と9の間の土手 この時期、リンドウを見かけるのですが咲いていないようです。

 

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No.8と9の間の土手拡大 以前に比べて生えてきているようです。

 

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鹿よけフェンス脇の土手に、リンドウが咲いていました。昨年よりも少ないようです。

いつも咲いている場所に今年は咲いていません。持って帰られたのかもしれません。

9月3日-4日

 

田瀬さん、小田部さん、滝本、宮田のメンバーで現地入り。
草本類の専門家の荒井さんにきていただき、100種類以上の草花が確認されました。

畑も、もうすぐ稲刈りの季節。黄金色に染まった棚田がとてもきれいでした。
現地の宮脇さん、松本さんにはすっかりお世話になってしまいました。


宮脇さんからは、早速お便りをいただき、「冬にもう一度いらっしゃい」とお誘いいただきました。

(宮脇さんのお手紙はいつもとても愉快です)



◆植生調査の結果はこちら

 

田瀬さん、矢澤さん他、関西の生態調査の専門家である安田さんにも参加いただき、

滝本、小橋、宮田の3人も同行しました。

 

本格的なアゼターフの実験生産へ向けて、現地の宮脇さん、松本さんと合意が整いました。

 

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宮脇さん(左)と松本さん(右)

 

 

 

3月27日28日と滋賀のアゼターフの生産のお願いに、滝本、宮田で滋賀の畑の棚田にうかがいました。

 

当日は、ボランティアで棚田の管理をされている宮脇さん(ウルトラパワフルな75歳)と松本さん(通称マッちゃん 35歳)が出迎えてくださいました。

 

 

棚田は春まだ浅いながら、フキノトウやショウジョウバカマの花が咲き*写真1.2(馬頭の森の佐藤さんの山ほど豊かに群生しているわけではありませんが)、棚田に春の訪れを告げておりました。

 

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写真1                        写真2

 

 

田瀬さん案の畦の幅を広げてアゼターフの採取地をつくる、という提案、宮脇さん達は「まかせてくれ」という感じで、大いに乗り気になってくださいました。

宮脇さんはご高齢だし、人手も少なくなっているとのことでしたので、東京からマンパワーを投入しないといけないのでは、と心配していましたが、宮脇さんは「心配しなくて大丈夫」という感じでした。耕耘機もあるし、道具もあるそうです。

(確かに宮脇さんは私の100倍元気なのではないかと思います‥‥後で宮脇さんの多趣味ぶりを詳述しますが。。。)

とはいえ、最初はつくり方の指導も必要だと思いますので、私たちが行って一緒に作業することになると思います。

ただ、「これからどんどん草が出てくるので、早く作業はした方がいい」とのことでした。4月中には始めたいとの意向です。

 

 

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宮脇さんたちが管理している棚田は10枚あり、まず生産地の候補になりそうなのはNO.10とのこと。

 

*左写真参照(左側の一番下がNO10。その上のNO9と8も候補にあがっていました。一度に3枚ということもお願いすれば大丈夫かもしれません。最終的には田瀬さんにも現地を見ていただいて、決めたいと思います)

 

 

 

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畦の幅は現況で70センチから1m程度あり、倍にするとすると

1.5mから2mの畦幅になると宮脇さんはおっしやっていました。

*写真右

 

畦の再生の様子などは、お願いすれば松本さんがデジカメで撮って送ってくださるそうです。

栃木の馬頭の森のお話もさせていただきましたが、松本さんが「行ってみたい」とおっしゃっていました。側から宮脇さんも「自分も時間があったら行く」と宣言(?)されていましたので、思わぬところで東西交流となるかもしれません。

もしかしたら、慶應の学生さんたちもみえられるかもしれない、こともお伝えしました。

 

駅まで宮脇さんに送っていただく帰り道、琵琶湖の湖面から、それは見事な虹がかかり、宮脇さんに「私たちの先行きは前途洋々ですね」と声をかけると「あなた方のいい思い出になってよかった」と言ってくださいました。

 

というわけで、栃木につづき、滋賀でも心温まるフィールド訪問となりました。

 

付記:ウルトラパワフル70's宮脇さんの日常

棚田に行くのは週2回

埋蔵文化財の発掘と測量のお手伝いをしている

野菜は自宅でつくる

劇団をやっていて老人ホームを慰問にまわっている。このあいだは花咲爺をやったとのこと(主役ですね!)

水彩画が趣味。時々山に登って絵を描く

ダンスが得意。

 

 

     

関西のアゼターフ採取地候補、高島町の植生を本格的にみていただくために、田瀬さん、矢澤さんに同行いただき、畑地区の棚田を訪問しました。

現地では、ボランティアの宮脇さんら3人が出迎え、案内くださいました。

 

 

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畑地区はまだまだ在来の草花の残るところで、私(宮田)がお2人の側で聞き覚えただけでも、リンドウ、ノコンギク、アザミ、ゲンノショウコ、カンゾウ、ウツボグサ、キツネノマゴ、ヒメヤブラン、テイカカズラなどが見られました。

 

田瀬さんからは、畦に残る植生を増やすために他の水をぬき、田を畦と同じ高さに平にして、草刈りをしながら草地を増やす、そのなかに周りの草花を移植したり種を播いたりして、増やしていけばよいのではないか、とのご意見をいただきました。

 

現地で拝見した場所は、高齢のご夫婦の棚田で、高齢のため放田になっているところを宮脇さんらボランティアの人たちが草刈りをし、一部蕎麦や里芋を植えて管理しています。

蕎麦打ちや芋煮会で人をよんで田の管理を手伝ってもらうとのことですが、今は参加者も減り、細々と活動を続けていらっしゃるようです。

それでも宮脇さんは週に一度は棚田にいらっしゃるそうで、棚田がなくなることを真剣に心配されています。

 

お聞きすると地主の方の年齢は80歳を超え、ボランティアの宮脇さんは75歳だそうです。

地区に若者は一人もいないそうで、棚田は、これらお年寄りの手で守られています。

しかし、彼らがいなくなったらどうなるのか、400年以上続いた目の前の美しい棚田の風景は、風前の灯火の風景でもあることを実感しました。

 

お爺さんたちのお話のなかで印象深かったのは、戦後の農業政策のことでした。

 

私たちも棚田の奥のスギの植林地を歩いたのですが、森は暗く下草が全く生えていません。

スギの植林が進められた時期、多くの棚田を潰してスギを植えたそうで、今は間伐さえ難しく、下草もないために土砂災害の原因にもなっているとのこと。

雑木林にすれば、森は豊かで落ち葉も積もり、水を蓄えてくれるので、災害にはならないのに、と地主のお爺さんはおっしゃっていました。

森の貧しさに伴って野生の動物が里に下り、獣害といわれています。

その獣害対策のために、棚田の周りには何億もかけて対策用の網が張られたとか。

 

ほんの1日お邪魔しただけでしたが、多くの???を感じた訪問でもありました。

 

 

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滋賀の高島町に関西のアゼターフの採取地を探しに行って参りました。

滝本さんのお知り合いの方を訪ねていったのですが、その周辺の放棄田畑は、かなり外来種が侵入していました。

訪ねた先で、畑(はた)という地域は棚田百選にも選ばれ、地域ぐるみで環境にも取り組んでいると教えていただき、畑地域も回ってきました。

 

偶然声をかけた農家のお宅(棚田の一番上の農家。元気なおじいさんとおばあさんがお住まいでした)でお話をきくと、そのお宅でも棚田の管理ができず、8年前からボランティアがきて管理をしてくれているとのこと。

けれどもそれも段々下火になり、継続がむずかしくなりつつあること、また地域でもどんどん放棄田が増えている、という話を聞きました。

見せていただいた田圃は放棄地とはいえ、ゲンノショウコの咲き乱れる美しい場所で、狭いですけれども、一度は田瀬さんにも見に来ていただいてよいのではないかと感じました。

 

今管理のお手伝いをしているボランティア団体の地元の若い人たちと連絡をとって、関西のアゼターフの供給をお願いできそうな気がしています。

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