2011年11月の記事
京都のこと 町家のこと 2 風情
2011-11-29 (Tue)
古今和歌集に
風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行
という有名な歌がある。
そういえば、俳句にも
秋来ぬと合点させたる嚔(くさめ)かな
という蕪村の句があった。
つくづく、季節の移ろいは気配で感じるものであったか、と思う。
町家には、表から裏へと通じる土間があって、これを「通り庭」と呼ぶ。
「通り庭」は人が行き来するとともに、自然が往来するところでもあった。
風が通り、光が抜ける。
今で言う庭は「奥庭」や「坪庭」と呼ばれ、時に「壺中の天」とも称された。
棕櫚竹がサワサワと鳴り、葛布の暖簾がかすかに揺れる。
そこに住む人の暮らしぶりが家に染みこんで景色をつくる。
要素や機能に還元できない行間ににじみ出るもの。
日本人はいつも、風情の中に美しさをみつけてきた。
京都のこと 町家のこと 1 省の生活作法
2011-11-24 (Thu)
この秋、京都に旅をした。
町家の造りに通じる古い宿に泊まって、あらためて京都の、ひいては古くからの日本の暮らし方について感じるところがあった。
京都の暮らし方を見ていると、元々日本人は無駄を省くことの上手な民族だったのではないかと思える。
無駄なことはしない、もったいないことはしない。
物の中にも命の宿りを感じ、古びた物も繕い、手を入れ、別の物に姿を変えて再生させてきた。
町家も然り。
家の部材は使い回しがきくよう、最初から考えてつくられている。
「破壊」や「解体」ではなく「生けこぼち」。
そこからは「省の生活作法」「始末の美学」とでもいうべき昔ながらの暮らしの知恵が透けて見えてくる。
暑いときは暑いなりに、寒いときは寒いなりに、自然に寄り添い、知恵を傾けて暮らしていた。
それだけに、暮らしは一層愛おしく、慈しみ深いものだったのではないだろうか。
夏座敷。生絹(すずし)の簾、簾戸、藤の敷物。
夏の暑さをしのぐ工夫。
写真:「京都の意匠」建築資料研究者
やっぱりホットケーキが好き
2011-11-11 (Fri)
ホットケーキが好きだ。
それは多分、子供の頃の思い出。父に連れられていったデパートでホットケーキを食べるのが楽しみだった。
アイスクリームよりも好きだった。
今もホットケーキが好きなのは、「お出かけの時の特別なお菓子」の記憶があるからかもしれない。
先日京都に旅をして昔ながらな感じの喫茶店に入ったら、久々に正当派のホットケーキに出逢い、懐かしくてついつい頼んでしまった。
翌日、嵯峨野のおしゃれなカフェにパンケーキがあって、またしても注文。
ふわふわしててとてもおいしかった。
ホットケーキとパンケーキは本来同じもので「英語圏では主にパンケーキと呼び厚さはやや薄め、アメリカではホットケーキと呼ぶことが多い」らしい。
クラシックなホットケーキはどっしりしている。
「喫茶店」から「カフェ」へ。「どっしり」から「ふわふわ」へ。「重」から「軽」へ。
ホットケーキも時代に合わせて変わっている。
日本では、おしゃれに「進化」するのとともに呼び名もパンケーキに「進化」したのかしら、などとどーでもいいことを考える。
つまりは、ホットケーキ(今風にはパンケーキ!?)が好き、という話である。
バターにメイプルシロップ。由緒正しき日本の喫茶店のホットケーキ
ふわふわのカフェスタイルのパンケーキ
スマート珈琲店
http://www.teramachi-senmontenkai.jp/shop/s20/s20btm.html
カフェ嵯峨野湯
http://www.sagano-yu.com/