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2011年4月の記事

日本人の美徳 東北の美徳

2011-04-30 (Sat)

4月16日にNHKで放映されたマイケル・サンデル教授の「大震災特別講義」を見ました。

その中で、被災者の我慢強さや礼儀正しさ、共同体に貢献する姿が、日本人の美徳として取り上げられていました。
被災地における自制心のある行動は、震災直後から海外のメディアで大きく取り上げられ、賞賛されたと聞いています。

でも、それは、災害に遭ったのが東北の農村や漁村だったからではないか、とふと思います。

東京で同じことが起きたら、同じような行動がとれるでしょうか?

もう、10年以上前になりますが、仕事で岩手県の遠野に通ったことがあります。
そして、遠野に住む人、とりわけお年寄りに強く心惹かれました。

お会いしたお年寄りたちは、みんな礼儀正しくて、ユーモアがあって、一度知り合いになると、遠くで私をみかけただけで、帽子をとり実に丁寧にお辞儀をしてくださいました。

昔ながらの生活の知恵や暮らしの技術をたくさん持っていて、そのお話はどれも飛び抜けて面白く、心を打つものであったのを覚えています。

この震災でボランティアに参加した知人が、避難所では、被災者の方が自分で山の沢から水を引き、がれきの中からひろってきた道具でお風呂を造り、薪で火をおこし、そのたくましさに驚いた、と語っていました。

遠野の人々のことを思えば、さもありなん、自分で生きる力のある人たちなのだと思います。

そうそう、遠野の電気屋さんで買い物をしたときのこと。お願いした商品がなかなか見つからず、座って待っていたら、突然バナナを差し出されました。
???
きっと待たせたままなのは悪い、と思ってくれたのでしょうね。

遠野から戻る度にお伽の国に行っていたような気持ちになったものでした。

さて、冒頭のサンデル教授の「特別講義」は、共同体の意識が国境を越えて、グローバルに広がる可能性に触れて終わりました。

東北の小さな町や村に色濃く残る共同体の意識とその意識のグローバルな拡大。
いすれにしても共同体はこれからの社会を考える上で大切なキーワードになりそうです。
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平明にして余韻

2011-04-27 (Wed)

声上げて泣きたし サクラまだ咲くな

月曜日の朝、新聞の歌壇俳壇ページを切り取って、電車の中で読むのが長年続いている楽しみのひとつ。
だが、このところこの楽しみの時間が悲しみの時間に変わってきた。
というのも、この数週間、このページで読まれている内容のほぼ9割が今回の震災に対する深い悲しみを詠んでいて、どれもこれも深く胸に迫ってきて、やりきれなくなってくるからである。

わが俳句の師は、俳句でこうした事象を読むのは難しい、そしていい句ができにくいとおっしゃる。
確かに、短歌と俳句を詠み比べるとよくわかるのだが、短歌は悲しみに寄り添うに十分な長さがあるが、それに比べて、俳句という器は、具体的な気持ちを詠むには短すぎ、それでも詠もうとするとなんとも意図的なものを感じさせて、余韻が残らないような気がする。
それでも・・・どうしても...この思いを詠みたくなるのが、俳句愛好者という人たちである。

冒頭の句は、そういう句である。
電車の中で、新聞を読んでいて、ふとしたタイミングで涙腺がプッツリ切れてしまい、涙が止まらなくなった。
これはみっともないと思って、途中の駅で降りて、駅前の桜の下のベンチに座って涙を乾かしながらつくった句である、いやつくったのではなく、できてしまったというべきだろう。

先日の句会で、この句を出してみることにした。
11人がそれぞれ8句ずつ自作を持ち寄り、全88句の中から、その場で8句(そのうち1句は特選)を選ぶ。
つまり88句に対して88の選ばれるチャンスを持っていることになる訳だ。
まんべんなく選ばれそうに見えて、いいと思う句はかなり共通する。
高得点もあれば、全く点が入らないものも出てくる。
この日、この句には、1人だけ点を入れてくれた人がいたが、まあ、結果的には評価の低い句となった。
それでも、一人でも選んでくれた人がいたことは、この日は、無性にうれしかった。

その時の師の講評は、 
「ここまで言い切ってはどうかと思う。俳句の良さは平明にして
余韻があること。この句はそれを感じさせない」

確かに......。
ここまで言い切ると、読み手に預けるものが何もなく、自分だけの独りよがりな句になってしまう。
それでも詠まずにはいられない時にできた句は、本来であれば人に見せるべきではないのだろう。
ただ、困ったことに、やっぱり誰かに共感してほしくて、うかうか句会などに出してしまうのである。


目を開けてゐるのだらうか 春の闇          結女

 


4月の句会の様子は、以下で覗けます。
http://ameblo.jp/emichacha-ameblo/day-20110424.html

 ブログ印_TAK.jpgのサムネール画像

                 

 

 

 

 

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